『偶然性と運命』(2001)

Goinkyodo通信 読書時間
木田元『偶然性と運命』岩波新書、2001年、2018年第6刷
第1章 めぐり逢いの現象学
めぐり逢いの意識がしばしば前世のきずなと考えるほど明証性をもって我々に迫ってくるのは何故か。明証性とは確実性の意識(5頁)である。木田元はハイデガーの時間論から説明する。ハイデガーの時間論の要約的説明がされるが、まだ『ハイデガーの思想』を読み終わっていない自分としては、ネタバレになるのだろうか。
「めぐり逢いの意識にあって、偶然の出逢いが運命と感じられるといっても、そこにはいわゆる宿命論的・決定論的な暗い色合いはなく、その運命が明るく開かれたものに感じられるのも、そこで起こる過去の再構造化が、これからこの人と共に生きてゆきたいという未来への自由な企投と連動しているからにちがいない。〈運命〉といっても多義的なのである」(42頁)。
〈偶然性〉の概念、〈運命〉の概念というギリシャ哲学の問題も恋愛におけるめぐり逢いの意識から説明されると入りやすい気がする。言葉の定義に古代ギリシャ語やドイツ語が出てくるので決してわかりやすいわけではない。遠まわりしている場合ではないが、古典ギリシャ語文典を読みたくなる。少なくともギリシャ語を無視して読み進めたくはない。
『存在と時間』の邦訳について、such zeitigen〈おのれを時間化する〉、Zeitigung〈時間化作用〉を〈時熟する〉、〈時熟〉と訳されているのを誤訳とし、九鬼周造訳の踏襲であると批判している。学問における権威主義を問題にしているのだ。以前に読んだ『ハイデガー拾い読み』でも翻訳の問題に触れていた。
『ハイデガーの思想』を読んでから戻ってこよう。

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