福永光司『荘子(内篇)』朝日文庫、1978年
人間世(じんかんせい)とは人間の社会のことである。信長が好んだという幸若舞の敦盛は「人間(じんかん)五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」と謡う(『信長公記』)。
その人間(じんかん)を分析したのが『荘子』「人間世篇 第四」である。最初に孔子と弟子の顔回に託した問答で、荘子的絶対者の処世を説くことから始まる8篇の問答からなる。荘子が心斎として説明する「虚」がテーマである。福永光司は「気」を宇宙的直観と訳していた。
「荘子において気とは、「天地の一気」といい、「陰陽の気」「六気」といわれるように、宇宙に遍満し、一切万物として成り立たせる原質であった。人間もまたこの気を受けて人間となるのであり、人間の生命のあらゆる営みがまたこの気に支えられてはたらきとなるのであって、つまり宇宙と人間とは本来同質なのである。荘子はこの宇宙と人間の同質において、あらゆる人間的な作為の浄化を考えているのである。彼はその宇宙的に浄化された人間の心的境地を「虚」よぶ」(172頁)。
朱子の鬼神論を子安宣邦氏の講義で学ぶ中で、朱子の理気論的宇宙論が、中国の古来の考えである「気」に基づくものであることを知った。朱子によれは気の集散で人間の生と死が語られる。荘子は既に「気」を語っているが、「理」は語らない。「理」は朱子を待たなければ出てこない。
この本を求めたのは学生時代のことだが、これを読んで理解できたとは到底思えない。老荘思想などと簡単に言うことなどできない。
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