京都検定問題の使い方

Goinkyodo通信 断片記憶

たまたま京都に馴染んでいたから、京都検定の最初のドメインができただけで、京都を知っていたわけではない。ツーリズムの薄っぺらい本やパンフレットを読めば、会話というものが成り立つ。ただし、その会話は世間話の域をでない。京都の町の人はお金を払ってまで観光寺院へ行こうとはしない。だから、「今日はどこを見てきはりました?」というリップサービスをするのが店の心得である。私が得意げに喋ったことは、後からくる観光客への現地情報(レコメンド)として使われたに違いない。お店の人は観光などしている暇はないのである。

記憶力の低下を自覚したことで、脳力アップを計ることを考えてきたが、それが京都検定問題を解くことで、ブログ情報の正確性のチェックにも、拝観パンフレットの処分にもつながるという流れにしたいという欲張りなものであった。ここ数日をかけて京都検定の問題をスキャン(さっと読むこと、読書のテクニック)したり、解答用紙を作り、わざわざコンビニまで出掛けてコピーしたりした。我ながらあきれる試行錯誤過程である。

その結果、2級の問題が手頃であることが分かったことまでは書いた。手作りの解答用紙で答え合わせし、できた問題はそのままパスし、できなかった問題、あやふやだった問題をチェックする。その時、答えを解答用紙に手書きしているのは、上の級を意識している。何しろマークシートではなく記述式なのである。

秋里籬島(あきさと りとう)という人が出てくると、漢字の書きとり練習をする。すると「離」ではなく「籬」であることが印象に残る。
when 江戸中期から後期(生没年不明)
what 京都のガイドブックを書いた人
→都名所図会(1778年、安永7)
都林泉名勝図会(1799年、寛政11)

関連する情報をまとめておくのは、違いが分かるためである。京都の地誌として「京童」「京雀」など試験にもでる内容はグルーピングしておく。京都のガイドブックと作者の一覧表のレジュメつくるのは、何も江戸時代だけではなく、林屋辰三郎の『京都』(岩波新書、1962年)も含めるのが京都を考える私という性格を表している。

秋里籬島が出てきたので、たまには、『都林泉名勝図会』を取り出して、眺めてみるのも心を落ち着けることにつながる。

『都林泉名勝図会』はデジタル版がネットで公開されている。私の手元にある板本は虫食いのため、崩字が読めない時は、講談社学術文庫版(1999年)で確認する。こうやって調べ事のようなことをしていると、あっという間に就寝の時間になる。

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