『蒙古襲来』(2001)で叡尊・忍性を考える。

断片記憶

網野善彦『蒙古襲来』小学館文庫、2001年、2005年第2刷

1.「忍性展」で生じた疑問

この夏に「忍性展」を観て、癩病患者への献身と殺生禁止など守れるはずのない者への授戒がどうしてリアリティを持つことができたのか分からなかった。そのまま疑問を流したので「忍性展」については書けずに終わっていた。

たまたま、網野善彦の『蒙古襲来』が読みかけの付箋を貼ったまま出てきたので、再び手に取ることにした。鎌倉時代5代執権の北条時頼の人物像の二面性に網野善彦は注目している。これはおいおい書くことにして、律宗と得宗家の関係に着目したい。北条時頼は忍性の師である叡尊を西大寺から鎌倉へ下向させた。このことが北条得宗家と律宗との関係を深めた意義は大きい。本書ではたびたび律宗との関係を網野善彦は書いていくことになる。

索引がないので、以下、叡尊・忍性に関係する箇所と小見出しをあげておく。

P88-90 律宗叡尊と時頼

P91-94 弘長の新制

P157 13世紀の日本

P198-199 時宗政権の始動

P233-234 叡尊・日蓮・一遍

P271-274 「悪党」の抑圧

P291 戦後の国内の反応

P299 慎重な戦功調査

P320-321 「徳政」と所領回復令

P386-387 職人と市

P393-396 関・勧進上人・天皇

P399 日本海の水運

P400-403 瀬戸内海の水運

P404-407 北条一門と西大寺

P418 本所一円地支配の強化

驚く程の量である。網野善彦が鎌倉時代後期における律宗を重視していることが分かる。見ていくと日蓮の忍性への批判が目につく。救済者としての忍性を認めても権力に結びつく律宗教団の指導者に対して厳しい目を向けている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました