不明門通ふたたび

旅の時間

西川照子著『京都異界紀行』(講談社現代新書、2019年)で、西川照子氏が因幡堂(平等寺)の荼枳尼天(だきにてん)について書いていました。荼枳尼天といえばお稲荷さんです。因幡薬師は稲荷信仰と関係があると書いています。どうにも気になるので行ってみることにしました。烏丸通の高木珈琲店でモーニングした後、裏から出ると因幡薬師の西側の塀の前に出ます。心願成就・身体健康の赤い奉納幡が塀を覆っていました。荼枳尼天は特別拝観のある時でないと見れないようで残念でした。

さて、因幡堂に無料の『下京だより』の2019年秋冬号が置いてありました。風俗博物館館長の井筒與兵衛氏が因幡堂住職の大釜諦順師にインタビューしている「下京・歴史探訪」が載っていました。井筒氏が「目の前が不明門通(あけずどおり)ですから、高倉天皇の御所もこのあたりだったんでしょうね。」という発言に対して、大釜師が「ところが「不明門通」というのは、応仁の乱以降の通りで高倉天皇の時代ではないのです。」と返しました。

正解ははっきりしませんが、「勅使門」で南側の門は普段開けていなかったからという説明が説得力を持つようです。一条天皇が勅願寺としました。平等寺という字号は高倉天皇の命名だそうです。しかし、「門」を読まない理由はやはり分からないままでした。

注)高倉天皇と小督局の話は平家物語にあります。平等寺は長保五年(1003)に薬師如来像が因幡国から京都に来てから、1000年ということで、平成15年(2003)に1000年記念行事を行っています。

小野尚向「京都・平等寺1000年記念行事をめぐる伝統の創生」(佛教大学)

https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/SK/0015/SK00150L025.pdf

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