「渉覧山水」ということ

断片記憶

竹内信夫氏の『空海入門 弘仁のモダニスト』(ちくま学芸文庫、2016年)を読み返していて、冬の高野山が見たくなった。以前、暮れに行った時は、寒かったけど、雪は降らなかった。霊宝館が冬休みで閉まっていた。壇上伽藍のある盆地の西の端にある大門から東の奥の院のある盆地の弘法大師御廟まで見てきた。そして、京都まで戻って、先斗町の居酒屋でいつものように飲んでいた。

注)冬の高野山参照

竹内信夫氏が「渉覧山水」ということを書いている。逍遥という言葉は知っていたけど、渉覧は知らなかった。空海の言葉だという。山の懐に抱かれるようにして歩き廻るイメージがある。ヨーロッパアルプスの岩山の登山(Peekを登り返す)と違い、日本の山は森林に覆われているから、沢登りして山頂に至るまでどちらかというと登山というより山歩きである。岩と氷(雪)に対して深林と水(滝)の世界だ。『山と渓谷』という雑誌のタイトルが日本の山には相応しい。空海は山林斗藪(さんりんとそう)の修行をしたことで高野山を知ったのだろうか。山に入るとは道無き道を行くことである。登山道が整備されていなければ尾根道は歩けやしまい。普通は谷筋を詰める。それでも最後に藪が出てくることが多い。藪漕ぎをした経験からは渉覧というような軽やかな言葉は出てこないと思う。視界はなくただただ辛い思い出しかない。もっとも、藪漕ぎ大好き人間もいないではないが。

荷を担いだ縦走は無理であるが、山と一体になれる山歩きはまだ出来るような気がした。登頂を目指すのではなく山に居ることを愉しむのだ。竹内信夫氏は高野山に住んだことで、「高野」の「平原の幽地」を思い描いて歩けるようにまでなったという。例えは違うが、私が洛中をイメージして京都を歩くのと同じように何度も歩いて身体感覚で把握したのだろう。羨ましい限りだ。

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