辞書をつくる

断片記憶

今野真二『辞書からみた日本語の歴史』(ちくま プリマー新書、2014年)

ニュース等で知らない言葉がでてくると、Evernoteにメモして、後でインタネット等で調べたりする。自分にとって必要なら、Evernoteに書き加えるが、見出し項目のままのものもある。GTDのサイクルが回ってないので要不要の判断がされていないのだろう。もっとも、昔の辞書にも見出し項目だけで語釈のないものもあるから、消してしまっては、遭遇というライフログを失うことになる。

今野真二氏によると、江戸時代までは一般向けの辞書はなく、「自分が使うために自分がつくる、あるいはそのようにしてつくられた辞書を、自分の必要のために写すということがほとんどであった」。

してみると、私の行為は昔の人とさして変わらない。今時の人らしくないのだろうか。自分のための辞書をつくるという行為は自分の思想をつくるということだと思っている私には言葉の定義にこだわるところがあるのだろう。言葉の使われ方の自由さが失われ、辞書に鑑としての模範を想定するようになったのはここ百年のことと著者は言っている。

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