大場秀章監修・解説『シーボルト日本植物誌』ちくま学芸文庫、2007年
1.シーボルトの来日経緯
本書はまずシーボルト来日の経緯を述べる。1796年生まれのドイツ人シーボルトが大学で医学を修め開業医となったこと、その後、オランダの東インド植民地に勤務する軍医となったこと、オランダの植民地への文化政策を日本で実施するために、医師の派遣として出島のオランダ商館へ1823年に派遣されたことが述べられる。
大場秀章氏は「一種の植民地科学者として来日した」という。鳴滝塾で医学を教える傍で、塾生にオランダ語で論文を書かせることで日本各地の植物やその他諸事物の情報を出歩かずして集められたというわけだ。
本書では敢えて触れていないが、シーボルト事件とは鎖国下の日本で国禁の日本地図を持ち出そうとしたことが判明した事件で、スパイとしてシーボルトは国外追放になったが彼のコレクションは無事に持ち出せた。シーボルトコレクションである。
2.本書の概説
本書はシーボルトの『日本植物誌』に掲載された植物画151図版をすべて縮小収録した。そして「各図版毎に、描かれた植物の特徴や分布、図化の経緯など、関連する事項について新たに記述を加えた」(重語と思うがそのまま引用している。)とあり、一体化しているため、どこまでがシーボルトなのか分かりにくい点もある。扱っている植物は「観賞植物あるいは有用植物だけからなる」(P010)。
表紙のサザンカ(Camellia sasanqua)はツバキ科の植物でシーボルトが好んだ花のようだ(P181)。
3.キリについてのエピソード
キリ(ゴマノハグサ科)について、シーボルトがPaulownia imperialisと任命したが、下段に[Paulownia tomentosa (Thunb)Steud.]とあったので、wikiで見てみると、ツンベルクが(ノウゼンカズラ科)ツリガネカズラ属で綿毛のある Bignonia tomentosaとすでに命名していたことが判明し、1841年にPaulownia tomentosaと改めたとある。現在はシソ目キリ科とある。
シーボルトがアンナ・バブロヴナに献名したキリ属(Paulownia)は残ったという訳だ。
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