河野哲也『問う方法・考える方法』ちくまプリマー新書、2021年
1.学習指導要領が変わった。
「二〇二二年度から、学習指導要領の改訂によって高等学校の「総合的な学習の時間」は「総合的な探究の時間」に変更されます。」(P9)と書いてある。
「学習」から「探究」に変わるのである。
知らなかったので、文部科学省のページを見に行った。
「横断的・総合的な学習や探究的な学習を通して,自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え, 主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに,学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的,協同的に取り組む態度を育て,自己の在り方生き方を考えることができるようにする」(学習指導要領)。
注)
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/kou/kou.pdf
「総合的な学習の時間」の目的は以下であったから、学習が探究的な学習となったこと、主体的な学びによる問題解決能力の獲得から横断的・総合的な学習を通じて自己の在り方生き方を考えることが求められるように変わったのだ。
「総合的な学習の時間は、変化の激しい社会に対応して、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てることなどをねらいとすることから、思考力・判断力・表現力等が求められる「知識基盤社会」の時代においてますます重要な役割を果たすものである」(文部科学省「総合的な学習の時間」)。
注)
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/sougou/main14_a2.htm
2. 社会が求める人材も変わった。
日本電産の永守重信氏が私財を投じた学校法人永守学園で超横断的・体験的カリキュラムで実践力を鍛えることになったことを読んだ時(日経ビジネス&日経クロストレンド 2020年10月9日)、大学へ入ることが目的化した現状への批判とも受け取れた。何をしたいのか。何ができるのかが問われている。
私が経験したメンバーシップ型の労働市場は、会社の組織をグルグル回って出世するジェネラリストが求められてきた。大卒は経営候補生の採用であった。経営も大学院出のテクノクラートが占めるようになると、経営修士の取得が出世コースに組み込まれた。
現在は、専門性の分化が進み、ジョブ型労働への転換や職業経営者がいわれるようになった。
会社員のスタートが新卒同時スタートでなく、中途も含めて異なる事態になってきたと思う。
そうした社会の変化に対し、学校教育も見直さざるを得ないであろう。
残念ながら、日本は高学歴社会とはいえない。社会が求めてこなかった。せっかく得た専門知識が社会に還元されないで消費されてしまう。一方で、専門化した知識は他分野に関する無知・無関心を生んだ。人々の世界が狭くなっている。新学習指導要領を読むと、大きな転換をしようとしているように見える。
3.本書はどういう本なのか
「探究型の学習」の組み立て方、文献収集、プレゼンテーション、レポートの書き方まで取り上げている。「探究型学習」は個人学習ではなくチーム学習を通じて実現する。対話が重視される。対話の相手は、複雑な利害関係を有する人々である。専門家もいれば市民もいる。高校生や大学生がこの本のターゲットになっている。
様々な「意味の場」(マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ、2018年)に生きる我々は複雑な利害関係を抱えている。対話を通じてしか物事を解決できないとしたら、その能力を身につける必要がある。
教養についての考え方も変わった。
「教養とは、現代の狭く細分化されすぎている専門性を、より広い視野に立って鳥瞰的・俯瞰的に捉えるための知的態度」(P31)である。
「現代の教養は、さまざまな分野の人を話し合わせる対話の術(すべ)を必要とする」(P33)。
そうした教養は大学の教養課程的な知識ではなく、「探究型の学習」を通じて獲得される実践知である。故に、高校生から「探究型の学習」を身につける必要があると説く。その目的は「自己の在り方生き方を考えること」にある。人生を考えることが人間にとって最重要なことである。
高齢者になっても探究をやめない子安宣邦先生を見ていると、日々の仕事に追われている私はシステムをより高次の視点から眺めることを忘れがちであることに気付かされる。税とは何か。税はどこから徴収すべきか。日本のシステムの在り方を常に考えて個々の施策に取り組みたい。
コメント