優雅さということ(続き)

断片記憶

T.S.エリオット、西脇順三郎訳『荒地』(創元社、1952年)をLe Petit Parisienのオーナーにガラスの書棚から出してもらい読む。オーナーは日曜日の結婚式を終えて火曜日より書斎を開けていた。後から奥様もいらして、ウェディングパーティーの話になった。同じく火曜日から仕事している。働き者達だ。

私は本を読みながら、火の説教の書き出しのところを岩崎宗治氏の訳と比べてみた。

西脇順三郎訳

河畔にあるテントはもう取りこわされた。

秋の葉っぱがからみついて、濡れた土手の下へ沈む。風は

音もなく、鳶色の野原をよこぎる。

あの妖女たちは去ってしまった。

美しのテムズよ、静かに流れよ

わが歌の盡くるまで。

もう河の上には浮いていない。

あの空瓶もサンドウィチの紙も

絹のハンカチフもボール箱もシガレットの吸殻も、また夏の夜をしのぶ他

の證據品も。

あの乙女たちは去ってしまった。

またこの男の友達の市内の重役の御曹司の

のらくらものゝ連中も、去ってしまった。

宛名も置かずに。

岩崎宗治氏の訳は直訳で「最後の木の葉の指先がつかみかかり、土手の泥に沈んでいく。」と味気ない。

西脇順三郎の訳は「秋の葉っぱがからみついて 濡れた土手の下へ沈む。」と日本語になっている。

原文

the last fingers of leaf

Clutch and sink into the

wet bank.

the last fingers of leafの岩崎宗治氏の直訳は論外だし、sink intoの訳も「沈んでいく」では進行形だ。sink into the wet bankを「濡れた土手の下へ沈む」と訳す感覚は、西脇順三郎らしい。

優雅さということ

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