『万年筆 インク 紙』(2016)

読書時間

向島に本屋が一軒できたようである。書肆スーベニアという。たまたま夜に伺って、片岡義男著『万年筆 インク 紙』(晶文社、2016年)を買った。

片岡義男氏が「自分はひとりだ。文章を書く自分はなおさらひとりだ」(P152)と書いていた。そうすると万年筆も一本を確定しなければならなくなる。

私もサインをするときは万年筆だったが、現役を退いてからはボールペンだ。責任が重い署名にはそれなりのボールペンを使う。以前は金ペン堂で買ったクロスの金メッキを使っていたけど、今は、記名捺印にしたので出番は無くなってしまった。普通にサインするときは記念品でもらったウォーターマンを使っている。丸善で替芯を買いに行ったとき、古いものを大切に使っていますねと言われた。

目次もないダラダラとした自伝的エッセイの最後の方で、片岡義男氏が祇園祭の宵山あたりで四条通りを泳いだと書いてあって笑った。動きが取れないのは私も経験した。

「髙島屋の前で人波に完全に飲み込まれた状態となった僕は、あるときはあちらへまたあるときはこちらへと、ただ動くだけだった。なかばパニックを起こしつつ、四条通りの南側に向けて、無我夢中で抜き手を切った。周囲はすべて人の波なのだ。だからそこにほうり込まれている僕としては、泳ぐほかなかった。自分の両側に強く接してくる人たちをかき分け、最後は水中にもぐって人々の脚のあいだを縫い、南側の歩道に上がり、建物に押しつけられた状態で、すこしずつ西へ進んでいった」(P274)。

そのあと、夏の京都で梯子する喫茶店の3軒は築地、フランソワ、ソワレと書いてあった(P277)。順番からいうと築地へ行って、近くのソワレへ行かずに四条通りを渡ってフランソワに行っている。原稿を書くにはその方がよいと思う。ソワレの狭いテーブルと椅子では長居できなから(笑)。四条河原町のなかの話だ。秋が深まりつつあるけど紅葉にはまだ、という季節は、六曜社地下店、吉田屋珈琲店、小川珈琲京都三条店だとある。こっちは三条河原町の喫茶店だ。

四条河原町から半径五百メートルほどのなかだと思うが、夕方、喫茶店で「ビーフカツ・サンドあるいはカツカレーにポテト・サラダを加えることが出来れば上出来」(P281)と書いている。行き当たりばったりなので名前を出さないだけに、どこだか気になるのであった。

私なら、イノダでビーフカツ・サンドを食べるけれど、カツカレーは食べないので見当もつかない。喫茶店で原稿を書いて、喫茶店で夕食して、新幹線で帰って行くのは楽しそうだと思った。以前読んだ本では本を読むために京都で喫茶店を梯子する話だったが、今回は原稿に追われて喫茶店を梯子している話だった。

書肆スーベニアのブックカバー

注)片岡義男氏の紙の話などは、『万年筆国産化100年』(桐山勝、三五館、2011年)の再話であるため、軽く受け流すのがいい。

「西暦610年に中国から伝わって来た紙を日本が自分でも作り始めたのは710年のことで、京都の佐保川で紙の流し漉きがおこなわれたという」(P28)。これは元明天皇の平城京遷都のときの話で、佐保川のほとりに官立の図書寮造紙所を設立し、増大する写経用紙などの需要に対応したという(『ビジュアル解説インテリアの歴史』(本田榮二、秀和システム、2011年)。もちろん京都ではなく、奈良の「佐保川」の間違いであるが、史書に現れた最初のものとして理解すべきことはいうまでもない。京都にしてもそうだが、奈良に関しても地理的知識のないことが読み取れる。

注)片岡義男氏が思い出しているのは20年以上前の祇園祭なので、最近の事情ではない。四条通りも工事して幅が狭くなったし、祭も2014年から先祭と後祭に分かれた。

注)『片岡義男 本読み術ー私生活の充実』(1987)

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