宵山

旅の時間

山口椿先生を囲んでの懇親会をらん亭でしたので、寝るのが2時近くになった。

うとうとしているうちに京都に着いて、ふたば書房京都駅八条口店で月刊京都を買い、京都新聞を買うなどして、京都市美術館へ「ダリ展」を観に行く。

ダリの多才さを堪能して、ピンバッジと絵葉書を買って、烏丸四条へ。長刀鉾の粽を買うための行列に交差点から並ぶ。11時だというのに大変な混雑である。売店は長刀鉾を挟んで東西にあるので、私は西から攻めたということになる。四条通を西に戻り月鉾を覗くが、団体さんが入ったようで混雑しておりパスし、新町を下がって、大船鉾の会所(龍頭がある。ここは後祭)と船鉾の会所をみて、戻って綾小路を東入り綾傘鉾をすり抜けて鶏鉾から、室町を上る。四条通を上ると直ぐの菊水鉾のお茶会は12時からである。今年の皿の色は初めての色だった。したたりを買うが、食べたことがないというトラットリアのスタッフのお土産に供した。

町家はテーブルを置けないほどの参加者だった。朧谷寿先生が半年近く体調が悪いという話で始まった。この時期は祇園祭の話をするはずが、何故か、「藤原道長と紫式部」の話になったという。5月だったら賀茂祭だしね。というわけで祇園祭の骨格となる話から始まった。

「藤原道長と紫式部」の中では、道長の邸宅の復元図と紫式部日記を対比しながら、文書以外の情報を活用して理解を深めることの大切さを強調した。具体的には渡殿(わたどの)にいるという紫式部は、何処にいたのかを知るには、平安貴族の邸宅の構造を理解していなければならない。これは朧谷先生の専門だ。寝殿と東の対を繋ぐ渡り廊下である渡殿は南北に二つあり、南側の透渡殿(すきわたどの)は壁がない。北側の渡殿は北側が壁になり、局として使う。ここに紫式部は居て、出産のため書院にいる彰子に仕えていた。

講義の後のお茶菓子は亀廣脇のご主人と山中さんが相談した今回のテーマに相応しいものだった。朧谷先生に挨拶して、京まちや平安宮を後にした。

今回も八坂神社の石見神楽が見れなくて宿題となった。

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