『歴史のなかの『夜明け前』』(2015)

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宮地正人『歴史のなかの『夜明け前』平田国学の幕末維新』(吉川弘文館、2015年)

島崎藤村の『夜明け前』が昭和の小説であることを知ったのはそんなに昔のことではない。『夜明け前』は中央公論に1929(昭和4)年から1935(昭和10)年にかけて掲載された。したがって「大正を読む」では読まれることはないだろう。

本書の課題のなかで、宮地正人東京大学名誉教授は東京大学史料編纂所で幕末維新期の史料蒐集・公開および史料編纂という通史を業務としていたという。「その時からの念願は、この時代を把握するためには、幕府・朝廷・大名・さむらいといった幕末期日本の支配的諸集団とは別個に、被支配階級の人々が如何にペリー来航後の情報を、収集し、判断し、主体性を模索の中で形成し、そして政治的な行動に出ていったのか、従来の用語を用いれば「草莽」層の試行錯誤と運動のありかたを社会的政治史として自己に納得させたいということであった」。

第1部第1章では歴史的な諸事実と小説『夜明け前』との食い違いをどのように理解すべきかを問うている。

あとがきを含め519頁の大著であるため、第1部第8章の最後の講演「明治維新と中津川」から読むことにした。

「明治維新をどう捉えるか」ということの中で、江戸時代における日本人の識字率の高さから話が始まる。「江戸時代の政治の原則は、「寄らしむべし、知らしむべからず」、これが幕府・諸藩の原則でした。だから新聞というのは幕末には出なかった。というより出せなかった」(319頁)。

「字が読めても読むべきものが手に入らないという、一番単純な事態を頭に置かないと、私は幕末維新、特に民衆にとっての幕末維新はわからないと思います。ただし、私が驚くのは、このような事態のもとでも、幕末の日本人は驚くべきエネルギーと熱心さで情報を非合法的に集めた。権力が一切手をかさず、ことによれば弾圧されるという状況下において、そのような情報収集がおこなわれていたということの方が、むしろ識字率よりも大事なことではないでしょうか」(320頁)。

「一体、日本がどうなるのか。幕府がどういう条約を結んだのか。あるいはハリスが下田に来て、その翌年には江戸に出府する。何を相談するのか。そこで問題になっている日米修好通商条約案とは何か。一切公開されていないのに、日本がどうなるのか心配する日本人は、あらゆる手段を使って、その情報を集め、その集めたものを周りの人間と一緒に回覧しました」(320頁)。

宮地正人氏が「風説留(ふうせつどめ)」というのは冊子に仕立てられて残っているこれらの情報のことである。中津川の本陣に市岡殷政(しげまさ)が残した10冊の「風説留」の中からペリー来航の嘉永6(1853)年6月3日の情報を17日に太田陣屋に報告書した内容から説明が始まる。

話は、横浜の開港と生糸貿易や天狗党の中津川通過問題になり、平田国学が中津川に展開していった状況の説明になる。平田国学の門人になることが、志を同じくする横断的なネッワークに入ることだったという。平田没後の「門人帳」が国事運動に関係するものを結びつけたというのである。

そして、幕府が倒れても世の中は一新せずに「夜明け前」の状況は続くことになる。最期に平田国学者への弾圧と廃藩置県で終わる。

明治維新という複雑な過程を見る眼を養う本である。

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