国史と通史

断片記憶

国史(ここでは『続日本紀(上)』(講談社学術文庫、宇治谷孟)と通史(ここでは、『日本の歴史3 奈良の都』(青木和夫、中公文庫)はどちらから先に読むのがいいのだろうか。

『続日本紀』の以下の記事を見てみる。

「大宝元年三月二十一日 対馬嶋が金を貢じた。そこで新しく元号をたてて、大宝元年とした」。

「八月七日 これより先に、大倭国忍海郡の人である三田首五瀬を対馬嶋に遣わして黄金を精錬させていた。(省略)また贈右大臣の大伴宿禰御行は、最初に五瀬を対馬に遣わして、冶金をさせていた功によって、大臣の子に封百戸・田四十町を賜った<分注。年代暦には、「後になって錬金のことは、五瀬の詐欺であることが発覚し、御行はだまされていたことが判明した」と>」。

『続日本紀』は簡略な記載であるが内容は多岐にわたっている。現代語訳とはいえ、五瀬に関係した話を半頁近く書いた中で分注により詐欺だったとした。文注を読み飛ばすことはないと思うが、「対馬の金」だけが記憶に残るおそれはある。

これに対し、『日本の歴史3 奈良の都』は五瀬の詐欺については「詐偽と雑戸」という項を立て2頁で説明している。「対馬に金は出なかった」というエピソードはしっかり記憶されることになる。

面白いのは青木和夫氏の叙述である。

「彼が金を発見しなければ、大宝という年号もできなかったろうし、高官たちが新令施行の式典をはなやかにかざることもむずかしかったであろう。かれが何者かに命ぜられた役割は、もうすんだのであり、歴史は使い捨てた小道具の最期を語ろうとはしない」。

今時の歴史家はこんな感想を述べたりはしないだろうと思う。

『続日本紀』を解釈した前提で通史が書かれているので、通史から読むのが手順と考えられる。但し、前提である『続日本紀』が現代語訳であるならば、さっと読んでしまうことはありなのかもしれない。漢文で書かれた国史をいきなり読めるわけでもないので、史料はその都度レファレンスとして慣らしていくほかないだろうから。

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