子安宣邦『天皇論 「象徴」と絶対的保守主義』作品社、2024年
第一章『古事記伝』の最初で最後の愛読者
子安宣邦先生が、小林秀雄『本居宣長』(新潮社、1977年)を取り上げたことで、しばらく小林秀雄を読むことになった。しかし、読みきれないまま本文に戻ることにする。このナショナリストは無視はできないが、宣長同様に読んで楽しいわけではない。戦後、宣長が『古事記』の註釈者として再評価された時期に、子安宣邦先生も『宣長と篤胤の世界』(中央公論新社、1977年)著わし、「私もまた宣長の思想世界を『注釈学的思想の世界』ととらえ、『古事記伝』の思想的意味を読み出そうとしていた」(p.24)という。『直毘霊(なほびのみたま)』を『古事記伝』の序文からはずして『古事記伝』を評価することに子安宣邦先生は懐疑的である。宣長のイデオロギー書である『直毘霊』を無視して『古事記伝』を注釈書として扱ってよいのだろうか。それは第二章で展開される。
第二章 1970年代日本と宣長の読み出し
吉川幸次郎の『本居宣長』(筑摩書房、1977年)が取り上げられるが、小林秀雄や子安宣邦先生もともに1977年の刊行なのは何か時代というものを思わざるを得ない。
1970年代は私も多感な時代を過ごした。森有正、吉田健一、辻邦生を読んだ時代だった。本居宣長のことはまるで知らなかった。子安宣邦先生がこの時代を総括するに、連合赤軍の浅間山荘事件や中国の文化大革命をあげていた。記憶は断片としか戻らないし、当時はよくわかっていなかった。
「自分の生きた時代」というメモから1970年代を引っ張ってみた。私の記憶に残る出来事は以下であった。
1970/03/15〜1970/09/13 日本万国博覧会(大阪万博)
1970/03/31 よど号ハイジャック事件
1970/11/25 三島由紀夫割腹自殺
1972/02/19〜1972/02/28 あさま山荘事件
1975/07/20〜1976/01/18 沖縄国際海洋博覧会
1976/09/06 ベレンコ中尉亡命事件
1978/08/12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約締結
1979/03/28 アメリカスリーマイル島原子力発電所事故
中国の文化大革命は後になって知った話であった。
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