霜山徳爾『人間へのまなざし』中央叢書、1977年、1986年第6版
「病む者は回復を願い、弱い人間は健康を求める」(P8)で始まる小論の主題は人間性である。
霜山徳爾氏の本を久し振りに手に取る。三島由紀夫の『豊饒の海』について言及していたので、メモする。「三島由紀夫の『豊饒の海』は題目からして逆説的である。作品は華麗な文体で人生の虚構の美を追うが、豊饒の海はもともと月の地名である。そこには死の荒涼があるのみであろう。浮生がきびしい死をしのぎ、かつ無がはなやいだ有に克つ作品である」(P12)。何やら渡辺京二氏のロシア文学の感想を連想させる。人間性への洞察によりでる言葉は生と死の対立である。霜山徳爾氏は「生と死の綾取り遊び」という不思議な文章を展開した。段落毎にカードでメモしたようなエピソードを並べたのである。
「サナトス(死)の法則」では「フロイトにもう十年の人生を与えたならば、恐らく東洋の英知に近づいたのではないか、という人がいるぐらい晩年の彼の思想に揺曳しているものは、苦患(くげん)の昏いうねりから遠く聞こえてくるような虚無の潮騒である」(P15)というような文章に出くわす。文学の色が濃い表現である。
決してスラスラとは読めない文書である。著者もあとがきで「しかし手を抜いたものはひとつもない」と書く。
人間性の考察は科学的な表現よりも、文学的表現が求められるのであろう。深い洞察の言葉は文学の自在な引用に満ちている。
フロイトに関するエピソードを一つ。「彼(フロイト)は常にモーゼのアポロン的性格を称賛している。しかし、フロイトは気づかなかったが、アポロンは最近のギリシャ古代研究が示すように実は
死の神だったのである」(P34)。
この文体は、平易な文章を好む時代にはもう流行らないのだろうか。
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