萬朶の櫻

断片記憶

萬朶(ばんだ)の櫻という言い方があった。

花の雲鐘は上野か淺草か (芭蕉)

芭蕉の深川の草庵から「遥かに眺めやれば上野・淺草あたりは萬朶の櫻雲に包まれて居る。その花の雲を渡ってゆるやかに響いて來る鐘の聲、それも霞んだやうで上野の鐘たも淺草の鐘とも聞き定められない」(P263、潁原退蔵『芭蕉俳句新講 上巻』岩波書店、1951年)。

wikiを見ると、明治44年の軍歌「歩兵の本領」では櫻花に見立てた襟章が歌われていた。

万朶(ばんだ)の桜か襟の色 花は隅田に嵐吹く 大和男子(やまとおのこ)と生まれなば 散兵戔(さんぺいせん)の花と散れ

万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子と生まれなば 散兵戔の花と散れ

「歩兵の本領」

潁原退蔵は萬朶の櫻雲に帝国の興亡を思わなかったのだろうか。戦争で隅田川の桜も焼け、高速道路の建設で多くが移植され、隅田川の桜も衰退した。墨堤さくらまつりが開催されるのは昭和50年代になってからである。

花の雲 遥かに遠し 隅田川 (千河)

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