明星聖子、納富信留『テクストとは何か 編集文献学入門』慶應大学出版会、2015年
新しい学問である「編集文献学」はドイツ語のEditionsphilologieの直訳であり、英語のtextual scholarshipの訳語でもあるという。そのテクストの正しさ、正統性への信頼を扱う。
本の凡例に興味を示さない読者には不要な本であろう。
本書は編集文献学の入門で10のテクストを考察の対象にしている。
プラトン『ポリティア(国家)』
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
新約聖書
チョーサー『カンタベリー物語』
ムージル『特性のない男』
シェイクスピア『ハムレット』
ワーグナー《タンホイザー》
フォークナー『響きと怒り』
ニーチェ『権力への意志』
カフカの遺稿
終章の「テクストとは何かーーカフカの遺稿」について、カフカを読んだら分かることだが、カフカの生前の本で知られているのは『変身』くらいだ。「残らず焼いてくれ」という遺言を託されたマックス・ブロートが遺稿から編集して出版したものを我々は読んでいる。
しかし、明星聖子氏の「カフカの遺稿」を読むと、ブロートの編集したテクストが正しくなく、批判版カフカ全集が出たことが分かる。これは本文と資料編の2冊組の全集で12巻まで出てあと1巻で完結するらしい。池内紀訳の『カフカ小説全集』6巻はこの批判版カフカ全集が底本であった。ただし、何を本文として採用するかは編集者の解釈が入っている。
明星聖子氏によると、史的批判版という手稿の写真版全集も出ているという。手稿の再現と復刻版のセットなのである。手稿と本の関係を研究するものにとっては編集は余計なことと言わんばかりだ。しかし、作家の意図を理解することは困難であり、編集者の解釈は避けられない。
現在の出版にしても、作家の手稿またはワープロ原稿と編集者の編集作業で最終稿ができる。出版元から出版された後も改訂版が出るものもあり、版はいくつも存在することになる。出版社が異なって単行本が文庫本化されたりもする。電子書籍であれば、全ての版を入れることも可能となるだろう。
少し寄り道して、考えることにする。
吉田健一の単行本は歴史的仮名遣いだが、最近の文庫本は現代仮名遣いに改めてられている。果たしてそれで良いのか考えさせられる。現代の読者の便宜だけを考えればそうかもしれない。しかし、現代仮名遣いでは読んだ気がしないので、文庫本は解説だけ読んでいる。
文学作品ではないが、雑誌の『科學朝日』1945年10月号の湯川秀樹のエッセイを読むために古本を探した。終戦後間もない新生日本の科学を論じたものの解釈に原本を当たりたかった。オリジナルの熱気を感じたかった。できるだけ当時の出版の形で読みたいと思った。全集の活字を読んでは分からないものがある。
「<大正>を読む」でも、津田左右吉の出版禁止の前の1924年版の『神代史の研究』を手に入れて読んでみた。津田左右吉は古代史研究の本を何冊も出して自身の考えを改訂した。著者の思想を読み取るには最後の出版で良いかもしれない。しかし、著者の言説の意味を受け止めるには、できるだけ当時の出版の形で読みたいと思った。
話が脇道にそれてしまったが、「編集文献学」が我々に突きつける問題は大きい。「編集文献学は人文学を学ぶ上で必須の知識と言える」(納富信留)だけでなく、インターネットのテクストを読み解くのにも役立つものだ。
この項続く予感がする。
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