吉川幸次郎『読書の学』ちくま学芸文庫、2007年
39章を俯瞰する。
1 発語之辞に言語と事実の関係をみる
2 荘子の言語不信の思想
3 「易」の「繋辞伝」「書不尽言、言不尽意」
4 「易」の「繋辞伝」「書不尽言、言不尽意」
5 「易」の「繋辞伝」「書不尽言、言不尽意」
6 「易」の「繋辞伝」「書不尽言、言不尽意」
「旧唐書」と「新唐書」の文書の比較
7 「易」の「繋辞伝」「書不尽言、言不尽意」
「旧唐書」と「新唐書」の文書の比較
8 「易」の「繋辞伝」「書不尽言、言不尽意」
「旧唐書」と「新唐書」の文書の比較
9 「易」の「繋辞伝」「書不尽言、言不尽意」
「旧唐書」と「新唐書」の文書の比較
10 「史記」「高祖本紀」
11 「史記」「高祖本紀」
12 「史記」「高祖本紀」
「私のいいたいことは、要するに、本を読むには、著者を読もうということである」(P116)。
13 「史記」「高祖本紀」
14 「史記」「高祖本紀」
言語の音声のリズムが考察される。
「言語は音楽ではない」(P143)。
15 沈約(しんやく)「宋書の謝霊運の伝の論」。
「言語は音楽ではない」(P152)。
16 高祖本紀 マクベス第四幕の魔女の台詞
「言語は音楽ではない」(P153)。
「音楽が、音符のつらなりによって表象しようとするものは、気分である。事実の伝達ではない」(P153)。
「言語は全く音楽ではないのか」(P161)。
17 筑波問答の業平の歌の評
「推移の悲哀」(P164)
本居宣長の評
18 業平の歌「春やあらぬ」
19 業平の歌「春やあらぬ」
20 業平の歌「春やあらぬ」
芭蕉の句
「史記」「高祖本紀」
21 「言語は必ず音声の流れとして存在する。(省略)したがって必ずリズムを作る」(P198)。
リズムの調節
散文におけるリズムの調節は無意識に行なわれる部分を多くもつ(P202)
22
「言語による事実の伝達とはいかなることか」(P207)。
「伝達されようとする事実に、必ず話者の印象が附随する」(P207)。
印象の伝達に効果を生むのは「単語のつみかさねによって生まれた音声の流れのもつリズム」(P207-208)。
「言語が音声の流れとして必ずもつリズム、それは事実に対する話者の印象を、有力に反映しているというのである。この反映を読みとらない限り、本当の読書ではない」(P208)。
「史記」「高祖本紀」
23
「私のいいたいことを、別の表現でいえば、著者を読もうということであると、さきにいった。話はまたそこへ返る」(P215)。
「かく書物には必ず著者があるということは
「著者の態度、これまた人間の事実ある」(P216)
→コンピュータの合成する文書の著者とは誰か?
24 「史記」「太史公自序」
25 「事実を伝達する言語、それがすなわちまた人間の事実の一つであるという関係」(P234)。
契沖「萬葉代匠記」柿本人麿
(注)西澤一光氏を代表とする研究プロジェクト「『万葉代匠記』の思想的意義と歴史的背景」は興味深い。
26 契沖「萬葉代匠記」柿本人麿
「この一段の議論は、「万葉」の人麿の歌の注としての価値如何はおくとして、江戸儒家史上の一つの事件であり得る」(P255)。「何となれば、契沖の見解は、徂徠の「論語徴」を先取してそれと合致し、仁斎の「論語古義」とは結論をことにしつつも、孟子への注意を同じくするからである」(P255)。吉川幸次郎が感動した議論の要約は難しいし、俯瞰する目的ではない。
「論語」の「子罕」第九の一章「子在川上曰。逝者如斯、不舎晝夜。」をあげ、ここでは契沖の点に従う。「子、川ノ上(ホトリ)ニ在(イマ)シテ、曰(ノ)ク、逝(ユ)ク者ハ斯(カク)ノ如キカ、昼夜ヲ舎(トド)メズ」(P248)。孔子「川上(せんじよう)の嘆」と云い、逝く物を水とみて無常迅速の悲観(P252)と理解する契沖、徂徠がある。一方、孟子、宋儒、仁斎は水の流れに「世界の本質は、無窮の運動にある」(P253)とみる。
27 契沖「萬葉代匠記」柿本人麿
28 読書の学の要諦
「司馬遷は、「太史光自序」において、「我れ之れを空言に載せんと欲するに、之れを行事に見(あらわ)すの深切著明なるに如かざる也」と、孔子の言葉を引いている。個個の「行事」を叙べる歴史叙述の、哲学の「空言」に対する優越をいうのである」(P273)。
「個別の言語、それを空泛な哲学の言語よりも、個別であるゆえにこそ「深切著明」であるとし、それによって、ひろく人間の方向を探求するのが、「読書の学」である」(P273)。
「「読書の学」とは、書物の言語によって人間を考える仕事である。書物の言語に即して思索することである。書物を、考えるために読むことである」(P273)。
29 「私のいう「読書の学」はすべての書に施さるべきである」(P274)。そのもっとも施さるべき対象は「文学の言語であり、詩の言語であるとしなければならない」(P274)。
「文学の言語は、その素材とするのが常に個体である」(P274)。
「「空言」とは、総括的抽象化な哲学の言語であり、「行事」とは個人的な事実の叙述である」(P278)。
30 「文学の言語、あるいは「行事」の言語の特集な価値は、別にある。現実は無限に複雑である。「空言」では追跡し切れない微妙な部分、そこにまで個を起点とする文学の言語の波紋は、及び得る。そこにこそ、文学の言語が、哲学の「空言」よりも、より「深切」により「著明」である理由があると、私は考える。そうして私の「読書の学」がもっとも職掌とするものも、この方向への追跡にこそあると考える」(P284)。
孔子「川上の嘆」の解釈を古注から荻生徂徠まで概観する。徂徠もまた孔子「川上の嘆」を悲観とみている。徂徠が「論語徴」で「漢より六朝に至るまで、詩賦を援(ひ)く所、皆な止(た)だ斯の義なるのみにして、復た異説無し」(P290)と豪語したことについて、以下38まで具に古注を見ていくことで、否定することになる。
31 太宰春台の師徂徠への批判「紫芝園前後稿」
32 太宰春台の「論語古訓」と「古訓外伝」
33 太宰春台の硬骨ぶりを楽しむ。
34 「不舎昼夜」水の属性の 「孟子」的解釈
董仲舒、趙岐
35 「逝く」を進みゆく意と解した揚雄、水を進歩の原理の象徴と見る。
許慎「説文解字」の川の部、侃の字
崔瑗(さいえん)「河間の相なる張平子の碑」
36 鄭玄「論語注」は孔子自身の悲観を読む。
37 「「論語」のかの章をもって悲観とする見方は、それを楽観とする揚雄らの見方と、時を同じくして、包咸(ほうかん)に併存した」(P351)。
陳善の雑筆
38 孔子「川上の嘆」を楞厳経(りょうごんきよう)と対比する。
39 「言は意を尽くさず」が再説される。
「私自身の考えをいえば、かく解釈が正反対といってよい二つに分列することは、しかく二方向への分裂を可能にするものを、未分のままに包有するのが、この言語の本来であろうと思う」(P366)。「すべてを奪い去る滅亡の原理としての水、たゆみなき生長の原理としての水、双方を同時に、東流する川水の上に見たのではないか」(P367-368)。「「逝く者は斯くの如き夫(かな)」、その「逝」の字が、悲観のひびきにあることは、契沖や徂徠の力説するごとくであろう。しかし言葉がそこでおわらず、「昼夜を舎(とど)めず」といいつぐこと、これはたくましさへの賛辞とひびき得る」(P368)。
コメント