大澤吉博編『叢書 比較文学比較文化 6 テクストの発見』中央公論社、1994年
「テクスト」概念は拡張されているようだ。文字だけがテクストではない。菅原克也「テクストとしての風景」を読むと次のようなフレーズに出会う。
「テクストということば。これを、われわれがある関心を持って見据え、理解しようとし、やがて理解したと考えるようになるもの、すなわち広い意味でわれわれが「読み解く」対象をさすと考えるなら、われわれのまわりには、実にさまざまなテクストが存在することに気づかされる」(P31)。
読み解くべく対象に風景を加えるといっても、実在の風景を論じるのではない。例えば、幕末期以降の多くの旅行記を残した外国人の目に止まった日本の風景を論じるというわけだ。これは納得がいく。文学を論じるのが比較文学論である。
以前、季刊iichikoで読んだ金谷武洋の日本語論(四都手帖2016年2月10日)を思い出したのだが、話者の視点から比較言語、比較文学を論じたものであった。日本語は主語が必要がどうかという議論であったが、それにもまして、西洋人と日本人の語る視点について考えるのは面白かった。
注)
『LIBRARY iichiko No.113 WINTER 2012 金谷武洋の日本語論』文化科学高等研究院
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