金田章裕編『平安京ー京都 都市図と都市構造』京都大学学術出版会、2007年
平安京は名前を変えて京都となった。本書は京都大学総合博物館に行った折に京大探検者の会編『京大探検部【1956-2006】』(新樹社、2006年)と一緒に買い求めたと思っている。
2014-04-15『京大探検部【1956-2006】』(2006)はOB寄稿本
第7章 中世都市嵯峨の変遷
山田邦和氏は「中世の洛中の周辺には個性豊かな「衛星都市」が群在し、それらが洛中と有機的な関連を持ちながら「巨大都市複合体」と呼ぶべき壮大な都市圏を造り上げていたのである」(P153)と書いている。
我々は洛中に目が行きがちであるが、洛外を見てみれば、「北野・西京には北野社が、祇園には祇園感神院が、法性寺八町には東福寺がそれぞれ支配権を行使しており、それらの都市に対しては幕府や朝廷の権力行使は大幅に制限されていたのである」(P153)。寺社勢力は権門の一つといってよい。
中世京都は、「中世の国家を構成するさまざまな諸権門の集住地であるからこそ「首都」でありえたのである」(P153)。
嵯峨の話になる。山田邦和氏の絶賛である。
「地域研究という観点から考えるならば、嵯峨という土地は極めて魅力的である」(P154)。
「おそらく日本広しといえども、これほど多数の古代・中世地図に恵まれた都市は、他にまったく例がないといってよいだろう」(P154)。
鎌倉時代初期の「舎那院御領絵図」から始まる古地図のラッシュである。古地図を眺めているだけで楽しい。
コメント