『落日の豊臣政権』(2016)その3

読書時間

河内将芳『落日の豊臣政権 秀吉の憂鬱、不穏な京都』吉川弘文館、2016年

影を落とす後継者問題

声聞師払い

陰陽師と声聞師(しょうもじ)の区別がつけば大したものだ。陰陽寮に属する官人としての陰陽師に対し民間の陰陽師が声聞師(唱門師)といわれる(P97)。声聞師は散所に属していた点と芸能たずさわっていた点に特徴があるという(P97)。

秀吉の留守中の女房衆から金の棒を声聞師が取り上げたことで、声聞師が召喚され、豊後国へ移住させられた。在陣留守の女房の扱いを巡って、声聞師払いが行われたことが記録にある。男留守の時の女房に対す夫以外の接触を徹底して排除する思考がみられる(P109)。極め付けは、秀吉の女房衆の不行跡に対し見せしめのため三条河原で子供と乳母が煮殺され、夫と女はノコギリ引きの刑に処せられたという(P114)。

狐狩り

宇喜多秀家の女房の身におこった出来事が語られる。いわゆる狐憑きであった。宇喜多秀家の女房の産後の乱心を野狐が憑いたとして、稲荷社へ秀吉から払いの祈祷が命ぜられた。女房に不慮のことがあれば稲荷社は破却され、日本国中狐狩りするこという。なぜここまでするのか、この女房は前田利家の女の豪姫であり、宇喜多秀家に嫁がせたのは秀吉だった。河内将芳氏は「秀吉や諸大名・諸侍の女房の行状、あるいはまた、彼女らが出産する子供の性別や生死いかんによって、天下がゆるがせかねないという深刻な危機感があったと考えられる」(P131)とした。

「秀吉は、「野狐」などの「物恠」や声聞師がそなえる呪術、あるいは、女房とその出産、そして、出産してまもない子どもの性別や生死といった、みずからの力ではいかんともしがたいものに翻弄されつづけていたとみることもできよう」(P131)。

このあたり畳みかける調子で、「それは同時に、天下人秀吉が力をふるえた領域というのが、じつは世界のごく一部にすぎないという、あらためて考えれば、当然というべき事実を示しているわけだが、そのことを跡づけていくかのようにして秀吉とその政権は、このあと、彼らの力のおよぼないものによって、しだいに追いつめられていくことになるのである」(P131)。

つなぎ方が上手い。この後を読みたいが、時間になったようだ。全くストイックな読書人である。

#河内将芳 #歴史 #中世史 #京都

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