事務所の書棚から、引き抜いて読み始めた。
辻邦生の第二エッセー集である。パラフィン紙は焼けて硬化しパラパラと断片となって落ちていく。箱も染みだらけになっていた。本への愛情が足りなかったことを思い出させた。
「しかし自然の孤独がもたらしてくれるのは何といっても「もの」との親密感だ。私は林を吹く風の音を聞き、湖をこえて射す朝日が雪をばら色に染めるのを見て、それが単なる旅先の一風景である以上のものを感じた。それは、ちょうどロシア小説の忘れがたい一頁ででもあるかのように、私の魂まで忍びこみ、言いようのない静かな幸福感で私をみたした。たしかにここ数年来、私はこうした充足感をほとんど忘れそうになっていたのだった」(p.11)。
日常を深く生きるためには、旅行が必要なのかもしれない。都会のビル風のなかに立ち止まって風の音を聞いても感覚は目覚めてこない。日常に埋もれた感覚をもう一度取り戻すためには小さな努力から始めたいと思う。「取替え可能」でない「もの」と暮らすことだ。
「感覚のめざすもの」は『バビロンの流れのほとりにて』系統の森有正論で、後に単行本に収録されたものを読んだことがあった。記憶はすでに彼方へ行ってしまったので、同じものなのかはわからない。本を探そうという気にもならないのが研究所の生活になってしまった。
【エッセー】
辻邦生『北の森から 辻邦生第二エッセー集 1971〜1972』新潮社、1974年3刷
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