古都を旅する

断片記憶

古都を旅するを読んで、弘仁寺を思い出せないでいる。山辺の道のコースにあって613日の黄金ちまき会式に興味があったことは思い出せたが、本尊の虚空蔵菩薩立像や十三参りのことは忘れていたし、算額の奉納に気がつかなかったのは残念であった。串田孫一の『もう登らない山』のようにもう行けない古都の旅を書いてみたい気がするが、記憶はすでに飛んでいる。串田孫一のエッセイを読むためには、地震で崩れた段ボール箱を片付ける必要がある。

カウンターに座って酒の他は何も注文しないのに料理が出てくる行きつけの店が憧れだったのだが、老化が進むだけと言われたら仕方がない。その分は相方が新機軸を出してくれるので、緊張感がある分、老化の進捗はゆっくりになるのだと思う。古都に行くのに目的が必要になってから、それに縛られて行かなくなったとしたらもったいない。しかし、認知症のリスクを考えれば、考えを改めなければならない。新しい関係を作っていくのは、歳を重ねるほど易しくはない。

店仕舞いしようと思っていたことが、認知症のリスクに繋がるのであるならば、しばらくは、今まで通り忙しい日々を送ることになる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました