あれなむ都鳥?

Goinkyodo通信 断片記憶

小松英雄『伊勢物語の表現を掘り起こす笠間書院、2010年

『伊勢物語』のあづまくだりので、隅田川の渡し船の船頭が言う言葉は「これなむ宮ことり」である。

小松英雄氏の本から引用してみる。

「なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる川あり、それをすみだ川といふ

その川のほとりに群れ居て、思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかな、と侘びあへるに、渡し守、早、舟に乗れ、日も暮れぬ、といふに、乗りて渡らむとするに、みな人、物侘びしくて、京に、思ふ人、無きにしもあらず

さる折しも、白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の表(うへ)に遊びつゝ魚(いを)を食ふ

京には見えぬ鳥なれば、みな人、見知らず、渡し守に問ひければ、これなむ都鳥、と言ふを聞きて

名にし負はば いざ事問はむ 都鳥 我が思ふ人は 有りや無しやと、と詠めりければ、舟、挙(こぞ)りて泣きにけり」(P211)。

「これなむ都鳥」の注釈書の現代語訳を小松英雄氏は挙げている。

「これが、ほら、あの都鳥さ」(森野宗明)
「これが、され、都鳥」(石田穣一)
「これが都鳥じゃ」(福井貞助)
「これが都鳥だ」(ながい和子)

「どれもそろって、〈これが〉となっていることが気になります。なぜなら、〈どれが都鳥ですか〉という問に対しては〈これが都鳥〉と答えるのがふつうですが、〈なんという鳥ですか〉に対する答えとしては、〈これは都鳥〉が自然だからです」(P219)。

そのあと、「『伊勢物語』の「都鳥」は、《あづまくだり》のクライマックスを盛り上げるために、京の最上流女性のイメージと重ね合わせて創られた虚構の鳥であることをA・B・Cの三段階に分けて立証」(P223)していく。確かに、昔からいるシギ目ミヤコドリは頭から背にかけて黒い。かといってユリカモメは背が灰色で白ではない。そんな絵に描いたような鳥は存在しないのである。そう考えると、小松英雄氏の言うように都鳥を絵に描いたような鳥であるというのも当たっていないともいえない。

そんな話を思い出しながら、桜が満開の隅田川堤から見た水鳥は嘴と脚が赤いユリカモメではなく、カモメだった。

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