「辞本涯」の語感

断片記憶

竹内信夫『空海入門 弘仁のモダニスト』ちくま学芸文庫、2016年

竹内信夫『空海入門 弘仁のモダニスト』(2016年)を読み返して、DVDを見始めてしまった。そもそも、空海が高野山を創建するときに冬の高野山を「山高雪深、人迹難通」と形容した手紙が「高野雑筆集」あると竹内信夫氏が書いていたので、私のイメージはそれであった。だから、『五大』(2004年)のDVDはちょっと残念だった。くさった雪の映像では満足できなかったのである。雪山を登ってきた眼からすれば、雪の鮮度くらいは分かる。やはり何度見ても冬の高野山の雪がいい。高野山に1メートルも雪が積もることもあるというテロップも記憶にある。

こうしてDVDを見るというより聴きながら読んでいる。声明だったり、般若心経だったりずっと繰り返している。BGVシリーズのようだ。

竹内信夫氏は空海の足跡を追って、五島列島の福江島柏崎に行って、石碑を見たという。それは三文字で「辞本涯」とあり、空海の言葉から取られたという。空海の乗った遣唐使船が帆を上げた光景が蘇ってくるような描写であった。本涯を辞すとは、本州の果てに来たという認識だろうか。李白の「早発白帝城」の朝辞白帝彩雲間 千里江陵一日還の「辞」を思い出すのは漢詩のレパートリーが少ないせいだろう。

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