相良享編『日本の名著24 平田篤胤』中央公論社、1972年
付録は「平田篤胤の思想の正面」と題した梅原猛と相良享の対談であった。宣長と篤胤の師弟関係は否定されたが、篤胤一門は師弟関係をうまく利用したようだ。むしろ、宣長と篤胤の断絶が指摘された。相良享が言うように篤胤からは宣長の「もののあわれ」は引き出せない。訳者紹介で子安宣邦先生の若かりし頃の写真が載っていた。時にドイツ留学中とあった。
解説「平田篤胤の世界』は2段組で目に優しくないので『平田篤胤の世界』(ぺりかん社、2001年)の方で読む。ここでは相良享の解説「日本の思想史における平田篤胤」を読む。「日本の名著」で平田篤胤を取り上げることに批判が予想された時代背景があった。梅原猛との対談でも折口信夫の篤胤観から話は始まっていた。皇国史観というスローガンだけではすまされないものが篤胤にはあると相良享は考えていた。柳田國男に始まるとされる民俗学の側面を篤胤に見ることになる。
この解説で面白かったのは篤胤における顕明界と幽冥界を結びつける産霊神の性格を論じたところであった。キリスト教の超越者として創造神を篤胤の産霊神の理解に見ることはできないという。日本思想史は明治のキリスト教解禁以降に絶対者としての神と個人が対峙する構造を考えられるようになったのである。
#子安宣邦
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