『定家明月記私抄』(1986)(その2)

読書時間

堀田善衞『定家明月記私抄』新潮社、1986年第2刷

松岡正剛氏の千夜千冊の17番で堀田善衞の『定家明月記私抄 正・続』が取り上げられていたのを読んで。少し気をとりなおす。松岡正剛氏が「こんなに先を読み進むのが惜しく、できるかぎり淡々とゆっくりと味わいを楽しみたいと思えた本」と評価していたからだ。

私は堀田善衞の『ミシェル 城館の人』についてモンテーニュの『エセー』を読んでからにしょうかと読むのをとめていた。部屋を片付けたときに本もどこかに片付いてしまったので、『定家明月記私抄』をバックに入れてしばらく通勤時間に読もうかと思ったが、重いので2日でやめにした。

『明月記』は藤原定家の日記であるが、48歳までと、その後の2巻から堀田善衞の私抄はなる。

鴨長明の『方丈記』の頃、定家は何をしていたのか。

鴨長明が、蓮胤という出家名で『方丈記』を記したのは建暦二年(1212)で定家51歳の時である。『方丈記』の中の火災、辻風、遷都、飢饉、大地震を定家はどう日記に書いていたのか。

治承四年二月から始まる『明月記』では四月廿九の辻風を堀田善衞は定家の日記と鴨長明の回想と対比して感性知性の差異を味わっている(P36)。だだ、19歳の定家がその時に記したことと、当時26歳と推定される鴨長明が58歳と推定される建暦二年に書いた回想文を比較して何か言うことは難しい。まして漢文体と和文体の違いもある。

定家が九条家の家司(けいし)をしていたのは知らなかった。道長の家司を行成がしていたのを思い出す。紀貫之のときもそうだったが、歌は知っていても歌人の生涯はほとんど知らない。文学鑑賞としてのアプローチであり歴史としてのアプローチはとってきていない。歌集は読んでも、伝記は読んでこなかった。小説が面白いからといって、必ずしも小説家の自伝が面白いとは限らないと思っている立場である。幸運が味方すれば別であろうが。

注)

方丈記の災害等

安元三年(1177)火災 定家16歳

治承四年(1180)辻風、遷都 19歳

養和元年から二年(1181-82)養和の飢饉 20歳

建暦二年(1212)方丈記 51歳

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