和中庵の二階のガラス窓

四都手帖

夏の旅で「和中庵」を見た。「人工絹糸」いわゆるレーヨンが発明されると、それを「人造絹糸」と命名し「スキー毛糸」のブランドで財をなした近江の五箇荘出身の藤井彦四郎が、贅を尽くして建てた、東山大文字山の麓の鹿ヶ谷の建築群である。漢学者長尾雨山により、「何事にも偏らず公平に」をモットーに「和中庵」と命名されたという。

1949年にカトリック系のノートルダム教育修道女会が取得して、修道院として改造、利用した後、2008年にノートルダム女学院中学高等学校に移管された。

老朽化のため、主屋は取り壊したが、洋館、奥座敷、蔵、お茶室を改修して残すことになった。洋館は東の奥座敷(客殿)とは渡り廊下で繋がるものの、西側の渡り廊下は解体され、ガラス窓として二階に残っている。

洋館

洋館の二階の渡り廊下の跡のガラス窓

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