正伝永源院の由来

旅の時間

都をどりを女将と観る前に、鰻屋の二階で食事をしていると、女将が日頃お世話になっている正伝永源院が公開されているので見に行きませんかと言う。

ちょうど文庫本を持って来ていたので、取り出して説明したとき、なんか変な気がした。食後に公開中の正伝永源院へ行って、説明を聞いて分かった。

『都林泉名勝図絵(上)」(講談社学術文庫)の正伝永源院の解説では、明治5年に元永源院のあった現在地に正伝院が移ってきたとある。寺の説明では、無住であった永源庵に、正伝院が移ってきたとある。永源庵の扁額からも明らかなので、監修者は何をもって永源院としたのだろう。

元正伝院の有楽斎の庭は今の祇園甲部歌舞練の庭の一部分に残っているとしても、失われたものである。永源庵という細川家の菩提寺の名前を残すことで正伝永源院という名前になった。廃仏毀釈の一連の流れの中で生じたことだ。

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