読書の秋は掛け声だけで終わってしまった感がある。既に街は冬の装いとなっている。人生の冬に読む本はどんなものだろうか。養老孟司氏によると若いうちに考えても無駄だという。人は変わるからなのだそうだ。年をとってから読もうと思って買った本が重荷になっている。遅くなったが、悔いの残る本に手をつけてみて、やはり無理だと手放す時期なのだろう。
我々の思考法についてデカルトは自覚的であるべきとしたから、思考を疑うことから始めた。思い返せば私も冬になるたびにデカルトの『方法序説』を読み返しながらデカルトが暖炉の火をみて考えていたように方法論に思いを寄せてきた。
対概念を利用して思考をする「二項対立図式」はアリストテレスに由来することを中畑正志氏の『アリストテレスの哲学』(岩波新書、2023年)で書いていた。中畑氏がアリストテレスに由来する概念の例として「個別/普遍、可能/現実、理/実践、主語/述語、実体、属性」(同書p.4)などを挙げていたのを改めて読んでみて、言葉が思考の枠組をつくっていることの怖さを感じた。推論の確からしさもいわゆる三段論法が正しいことの証明もアリストテレスによってなされたという。中畑氏はコラムの中で決定的なことを述べていた。
「論証は、世界の実在的事象がなぜそうであるのかという原因や根拠を説明するものであるから、アリストテレスの論理学は、原因根拠の知のただしさと、そして最終的には、原因根拠にもとづく世界のさまざまな事象の間の繋がりを保証する役割を負うことになる。アリストテレスにとって人間の思考と世界の構造は、妥当な推論の形式をとりうるほどに合理的なのだ」(同書、p.42)。
合理的という言葉をひとつとってみてもその意味するところを受け止めるのは難しい。合理的という概念をrationalと理解することでやっと落ち着く。resonableなものとは受け止められない。
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