勝俣鎭夫『中世社会の基層をさぐる』山川出版社、2011年
桜井英治氏の解説が簡潔なので、これによるとこにしよう。
「先生は「サキ」と「アト」に関する古い用例を徹底的に洗い直し、ときに古典文学の通説的語釈の誤りを正しながら、語意の逆転が生じる時期を、一七世紀初頭から前半ごろと確定された。それ以前の「サキ」はすべて過去を、「アト」は未来をさしたのに対し、以後は逆に「サキ」は未来を、「アト」は過去をさすようになる。そして、この変化をもたらした契機については、「漠然とした見通し」とためらわながらも、「西欧近代社会のともで明確なかたちで形成された『近代的時間観念』と同じ認識の方向性」をそこに見出されるのである。それまで神仏の支配領域に属していた未来が人間のものになる、それはいいかえれば、人類が予測可能性によって未来をその射程に補足したということでもあろう。では、その予測可能性はどのように獲得されたのか。科学技術、金融、国際的契機、あるいは戦国乱世の終息等々、さまざまな要因が考えたられようが、いずれにせよ、そこから派生する問題は途轍もなく大きい。そして、それこそが先生のお仕事のスケールなのである」(p.236)。
私は簡潔と書いてしまったが、自分でまとめるのに比べたら遥かに簡潔で読み取られた内容も深い洞察がある。
補論 柳生の徳政碑文 ー「以前」か「以後」かー
柳生の徳政碑文は「正長元年ヨリサキ者、カンへ(神戸)四カンカウ(四カ郷)ニヲヰメ(負目)アルへカラス」(p.25)とあり、国指定の史跡となっている。
このサキを「以前」と読めば、「正長元年より以前に関しては神戸四カ郷には負債がない」と解する(p.27)ことになる。「以後」と読めば、「正長の徳政一揆との関係が不明確となり、正長元年以降の負債がなぜないのか解釈不能とならざるをえないのである」(p.28)。
私達の現代の感覚ではサキ(先)を未来と受け取ってしまう。語意の逆転を不思議と思うしかない。
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