青木美智男『小林一茶 時代を詠んだ俳諧師』岩波新書、2013年
おわりにの附記を読むと、青木美智男氏が急逝されたあと、教え子であった瀬戸口龍一氏がおわりにを加筆したと書いてあった。読んだ時には違和感を感じなかったので驚いた。もっと驚いたのは、歴史家が小林一茶を論じたら、取り上げる俳諧が文学者と異なるばかりか、慈愛に満ちた小林一茶という俳諧師のイメージが変わってしまった。要は一茶について津田左右吉が評価していたくらいしか知らなかったのである。
小林一茶は宝暦13年(1763)に信濃国水内郡西柏原村(現長野県上水内郡信濃町)の百姓の子として生まれ、文政10年(1827)に死去した。享年65歳であった。故郷は幕府の天領であった。黒姫山の麓という記述を読んで、少し思い出したことがある。
長野善光寺から北国街道を北に向かって行き、牟礼、柏原、野尻の宿を過ぎれば越後国である。信濃国の北辺に近づく。柏原は今では黒姫駅なって往時の宿場町を思い浮かべることはできない。研修や合宿など黒姫高原に来たことが何度かあって、戸隠まで蕎麦を食べに行ったりした。長閑な時期もあった。柏崎で上がった日本海の魚が1時間もすれば届く距離なので食事は高原に来てるという感じがしなかった。刺身の鮮度が違う。
一茶の生まれ育った西柏原村は豪雪地帯であり、句にもそれを窺わせるものがある。
注)津田左右吉の『文学に現れたる我が国民思想の研究』の平民文学のなかで小林一茶を顕彰しているのであるが、どの本箱か探せないので後で確かめることにする。
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