『荘園 墾田永年私財法から応仁の乱まで』(2021)

Goinkyodo通信 読書時間
伊藤俊一『荘園 墾田永年私財法から応仁の乱まで』中公新書、2021年
日本の中世を理解するためには政治史だけ見ていてはいけない。しかし、乱とか変の本が多いのも事実である。荘園は長い期間存在したので時期により捉え方は難しい。本書のサブタイトルにあるように墾田永年私財法から応仁の乱までの期間を押さえるのは容易ではない。著者の伊藤俊一氏が荘園の専門家であることはTwitter の投稿でわかった。参考文献は大学の講義を意識して詳細になっており、荘園索引を見るだけでも圧倒される。初めての一般書で気合が入っているのだろう。
本書の構成は全10章からなる。
第一章 律令制と初期荘園
公地公民と班田収授から丁寧に律令制を説明している。このあいだ虎尾達哉著『古代日本の官僚』(中公新書、2021年)を読んで、律令制の中央官僚と郡司などの地方豪族との格差を見てきたので、説明がスッと入ってくる。
墾田永年私財法(743年)は天然痘の流行で「人口の減少によって荒廃した農地の再開発や新たな開墾を促し、国土の生産力を回復することを目指した」(16頁)。
「墾田永年私財法の発布により、各地に作られた荘園を初期荘園という」(17頁)。
初期荘園は専属する農民を持たず、賃租(収穫物の2〜3割の地子(田地の賃借料))を徴収することにより収益を得た。
こうやって、テキストから書き出せば勉強になるので、kindle版が欲しくなる。
第二章 摂関政治と免田型荘園
気候変動から古代から中世の過渡期が論じられる。
醍醐天皇のもとで藤原時平が荘園整理令(延喜2年(902))を出して、最後の班田(田地を農民に割り当てる事)を行った(902年)ことは習ったことだった。
三善清行が醍醐天皇に提出した「意見封事十二箇条」(延喜14年(914))がここでも出てきた。先に読んだ関幸彦著『刀伊の入寇』(中公新書、2021年)28頁以下は軍事的課題であったが(注)、ここでは備中国下道郡邇摩郷について古代村落の危機の記述が前文で述べられていた。三善清行が寛平5年(893)に備中の介に任じた時に見た風土記には邇摩郷から白村江の戦いのときに兵士二万人を得たとある。それが天平神護年中は成人男子が1900人余りいたが、貞観年中には70人余りとなり延喜11年(911)に無人となったという。「この話には誇張があり、国家が戸籍によって人口を把握できなくなったことが大きいのだが、発掘成果が示す状況と合わせて考えると、あながち架空の話とも思えない」(30頁)。10世紀は乾燥化が進んだという。
(注)「縁辺の諸国ニ、各弩師(どし)ヲ置クハ、寇賊ノ来犯ヲ防グタメナリ(沿岸の諸国に弩師を配置するのは、異国の来襲を防ぐためである)」(関幸彦著『刀伊の入寇』中公新書、2021年、29頁)

コメント

タイトルとURLをコピーしました