法学博士吉野作造の「山縣老公の死」が『婦人公論』大正十一年三月號の巻頭エッセイであった。これをもって『婦人公論』という雑誌の性格を論じるつもりはないが、大正五年(1916年)創刊の女性誌の巻頭を飾るにはそれなりの理由があったと考えるのが普通だろう。
内容は山縣有朋の功績を徴兵令と自治制度創設としながら、徴兵令を第一とし、自治制度は山縣有朋でなくてもよかったと論じている。むしろ山縣故の欠陥があると断じていた。
この古い雑誌はもともと稲垣足穂の「チヨコレート(新童話)」が掲載されていたことから、Le Petit Parisienの企画で展示されたものである。石川オーナーもそこまで読んでいた訳ではなかったので、意外な顔をした。
もっとも、私が以前に持ってきた『書物展望』の創刊号を読んで議論したはずだから吉野作造のことは知っていたはずだが、まさか、『婦人公論』にも書いていたとは考えなかったと思う。もとより「稲垣足穂」にまつわる展示だったので、世俗的な興味はないだろうから。
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