唐木順三『唐木順三ライブラリーⅡ 詩とデカダンス 無用者の系譜』中公選書、2013年
『無用者の系譜』
「文人気質」が収められた『無用者の系譜』は1960年に筑摩書房より刊行された。「無用者の系譜」は『伊勢物語』の第九段、「昔、男ありけり。その男、身をえうなき者に思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。」から「身を用なき者」を取り出して「無用者」をタイトルにしている。
唐木順三は在原業平・一遍・宗祇・宗因・貞徳・芭蕉を無用者の系譜として扱っている。ただ、唐木順三の筆は一遍を扱うにしても、一遍が慕った空也や、展開とは関係なく鴨長明の書いた『発心集』に出てくる長増を書いたりと、寄り道した上に鈴木大拙の『日本的霊性』まで及んでいる。
解説を読むと、「永井荷風、成島柳北、大沢沈山といった近代文人もまた、唐木の視点によって無用者のカテゴリーに入る。『断腸亭日乗』の荷風はとりわけ無用者としての印象が強い。戦後社会から古い日本へと反転していった唐木は、日本では宗教者や文人を中心に、無用者が多いことに驚いている」と粕谷一希が書いていた。無用者>文人となると、「文人気質」読む前に順番通り「無用者の系譜」を読むことが必要になる。唐木順三のいう「無用者」という視点がぼやけたままでは先に進めない。「文人気質」の前にこの本の最初から読み直すことにする。この解説を書いた粕谷一希は本書の刊行の後2014年に亡くなっている。解説からはなぜ文人気質なのかが見えてこない。解説としては大雑把だと思う。
文人とは何か
林浩平氏の放送大学の特別講義では松尾芭蕉を文人としていなかったが、唐木順三の見解に沿ったようだ。与謝蕪村や池大雅が文人として挙げられていた。
そもそも文人は中国の六朝時代に形が生じ、唐宋代に科挙制度により高級官僚となった士大夫が趣味として詩文などをすることから始まった。極めてアマチュアリズムが高く、反俗的なものだった。日本では中国でいう文人の定義をそのままあてはめても仕方がない。
文人への憧れがどのように生じたかは実証研究によるしかないが、あいにく唐木順三の本はそういうアプローチをとってはいない。したがって文人の定義をどうするかで文人の含まれる範囲が異なる。しかも、文人という用語は使われなくなっている言葉でもある。
この映像に大田垣蓮月が出てきて、林浩平氏は多芸多才ということで大田垣蓮月を文人として扱っていた。いつか西加茂の神光院(じんこういん)で大田垣蓮月の蓮月庵跡の碑を見たの思い出した。大田垣蓮月の墓はまだ見てなかった。映像では、佐藤春夫や吉増剛造も文人だった。
林浩平の《饒舌三昧》
またまた遠回りしているうちに時間切れとなってしまった。
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