人文主義者は何を読んでいたのか

断片記憶

本をどう読むかはいつだって課題である。歳を重ねたらモラリストを読めという谷沢永一の勧めもあって若い頃に読んだパスカルを読むことになるのだろうかとなんとなく考えていた(注1)。

先日ゲンロンカフェで取り上げられた坂部恵について調べてみたら、哲学史の教科書の近世史を担当していたので、手元の本をさっそく読んでみることにした(注2)。

「(前略)ギリシア・ローマ古典の復興とそれによる人間性の陶冶を目指す「人文主義(humanismus)もまた、イタリア・ルネサンス以前に、ソールズベリーのヨハネをはじめとする十二世紀のフマニストたちにその先駆をもっている。文学、哲学、史学がまだ十三世紀におけるように分離せず、渾然一体をなしていたこの時代のひとびとの豊かな人間性は、哲学の悪い意味でのスコラ化形式化とともに、その後久しく忘れられがちであった」(『西洋哲学史 第三版』p.97)。

モラリストを読むというのがある時期の目標だったが、考えが変わってなければそうなるのだろう。ただ、養老孟司氏のいうように人は変わるものであり、その年齢になってみければわからないというのも尤だ。

モラリストの書いたものを読むということを漠然と考えていたわけが、そうなると私のように歴史好きで、本好きな人間が、エッセイだけを読むのでよいのかというのが疑問だった。他の本は整理してしまえるので都合のよい考え方ではある。しかし、哲学史を読んでいてモラリストたちが何を読んでいたのかを考えるヒントが得られた。科学が哲学から分かれる前であり、哲学も広い範囲をカバーしていたのである。その豊かな学識を前提に人文主義は成り立っていたのであるから、文学も史学も手元に置いて読むことでよいのである(注3)。

(注1)谷沢永一『いつ何を読むか』KKロングセラーズ、2006年

(注2)原佑、井上忠、杖下隆英、坂部恵『西洋哲学史 第三版』東京大学出版会、1955年、1974年第三版、2000年第三版22刷

(注3)いずれ別れなければならない本を整理することを妨げるものではない。

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