高野山を想う

断片記憶

神保町でワゴンを漁っていて渡辺照宏・宮坂宥勝著『沙門空海』(筑摩叢書、1967年)が出てきた。昨日読んでいた竹内信夫著『空海入門』(ちくま学芸文庫、2016年)によると、竹内信夫氏が学生時代に出会ってフランス文学を続けながらも空海の本も読んで来たという。私は読んだかどうか記憶がなかったが、持っていたような気がしたので買わずにセミナー会場へ向かった。

夜、寝付けないので、また、竹内信夫氏の本を手に取って、高野山が二つの盆地からなるという記述を読んで(pp.27-28)、暮れの高野山を西の大門から奥之院に行った時のことを思い出していた。記憶があやふやで宝物館を見に行った時と錯綜していそうである。枕元の本棚に挿してある御朱印帳を開くと平成二十五年八月十五日とあった。この時は御朱印帳を買い求めたのであるが、見返しの次のページに高野山奥之院と印刷されているにもかかわらず御朱印がないことから、奥之院は訪れていない。

竹内信夫氏は「山水渉覧」と書いていた。歩くことで高低差を感じると本にはあるが、確かに私も歩きまわって感じたのであった。それにしても、夜は先斗町で酒を飲むために帰っていたことが今から思えば微笑ましい。こんなことも以前書いていた。まるで老人の繰り言のようだ。それだけ、高野山にまつわる想いは尽きないと言うことなのだろう。

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