猛暑

断片記憶
快晴で猛暑の予想が出ている。本を元あった場所に戻せないと思って少し不安になる。郷土資料館で曳舟川の歴史を遡っていたのだ。荒川放水路の工事が完成したのは昭和5年(1930年)なので、曳舟川は荒川放水路で分断されてしまった。分断後の曳舟川がいつなくなったのかをすみだ史談会の会報『すみだ史談』第61号(令和5年5月1日)に旧水路ラボが「曳舟川はいつ消えた?」と題して書いている。それによると、曳舟川の埋立工事は1940年前後から1959年の期間に少なくとも六次に分けて実施されたという。
手元の地図は昭和36年3月(1961年)発行なので、中身は1960年であり、曳舟川通に曳舟川の痕跡はないが、都電とトローリーバス路線も通っていないので、埋立が終わったばかりで使い途がまだなかったのであろうことは分かる。曳舟川通を延長する形で新四つ木橋が竣工したのは1973年(昭和48年)のことである。
注)旧水路ラボの資料は重い。

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