継続的な自問自答

断片記憶
なぜ、京都本を読むのかを考えるために京都がなぜ好きになったのかを思い出してみようと思う。
京都へ自分の意思で行ったのは、2005年で50歳になる年だった。白川静先生の最終講義を京都国際会館まで聴きに行った。講義まで時間があったのでタクシーで京都市内を回った。修学旅行の記憶はほぼ無くなっていたが、見るもの聞くものが楽しく、行きも帰りも同じタクシーを使ったのだった。普通はそれで終わりである。
翌年の5月の連休に、日帰りで京都へ行ってみた。理由はわからない。なぜ、松尾大社へ行ったのかは不明である。神護寺はしかし目的があった。伝源頼朝像を年に一度の虫干しで公開するので見に行くことが目的だった。思い出したのだ。藤本正行氏の『鎧をまとう人びと 合戦・甲冑・絵画の手引』(吉川弘文館、2000年)を読んで、教科書で習った源頼朝像に強烈な疑問符が付いたのだ。何かの折に神護寺で公開される情報を入手して、思い立って出かけたのだと思う。身体を壊す前なら連休は山に行っていたはずだ。絵画の本を読むのも、山に行けなくなって読むものが変わったのだ。メスナーおじさんの本を読む時代は終わっていた。
11月の紅葉で混む時期に日帰りしている。
本阿弥光悦の茶碗を東京の三井記念美術館で観て、京都の楽美術館を知って観に行ったのだろう。まだ、京都にはハマっていない。すぐに帰って来ている。駅地下の本屋で『梅棹忠夫の京都案内』(梅棹忠夫、角川ソフィア文庫、2004年)や『京都でのんびり』(小林由枝、祥伝社黄金文庫、2006年)他を買って帰った。この小林幸枝氏の文庫が面白くて、自分でも歩いて見たくなり、翌年から京都通いが始まった。梅棹忠夫ではなく小林幸枝氏の本が私の京都案内であった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました