『鎌倉幕府』(2004)その2

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石井進『日本の歴史(7)鎌倉幕府』中公文庫、1974年、2004年改版、2018年改版第6刷

石橋山古戦場は東海道線の根府川駅と早川駅の間にある。敗れた頼朝らは後退して根府川より西の土肥(湯河原)の椙山(すぎやま)に隠れた。土肥椙山巌窟は神奈川県指定の史跡となっている。そして箱根権現に匿われた後、真鶴半島から船で房総半島の南端安房国へ渡るのである。奇跡的と考えるしかない。

東の国々(P36-71)

国衙領と荘園、荘園の寄進の理由が概略分かった。

鎌倉殿の誕生(P72-98)

石橋山合戦に敗れた頼朝が、安房国に渡って再起する。何故そんなことができたのかは東の国々で関東の武士団の置かれた状況を読んでからだとそれほど疑問も感じない。しかし、頼朝らに参加する武士達にとってこれは後戻りできないことである。千葉介常胤は下総国の目代を攻め滅ぼして頼朝らに加わる。頼朝が伊豆国の目代を殺して始めた反乱である。千葉介常胤にも切迫した事情があったのだろうか。

政治家頼朝の成長(P99-129)

後白河院との折衝で寿永二年十月宣旨を交付させた頼朝の外交力はどこからきたのだろうか。

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