『閑板書國巡禮記』(1933)のお話

読書時間

齋藤昌三『閑板書國巡禮記』書物展望社、1933年

(編集済)

去年の9月に預けてからLe Petit Parisen の石川さんの気紛れによる修復を経てしばらくぶりで手元に戻ってきた。これで見返しの遊びの破れを気にせずに読めるようになった。

というわけで、裏見返しの遊びに「大屋蔵」の蔵書票が貼られていたことに気がついた次第である。本書は齋藤昌三のエッセイ集の第二巻で、限定1,000部のうちの901號である。限定などといっても所詮それより多くは作られないのであるから、付けるまでもなかろうと思うが、一冊一冊に連番を振るほどに思い入れがある本ということができよう。装幀に凝った本は増刷に困難を伴う。

齋藤昌三が「巡禮を終へて」に今回の装幀について解説した文章は味わい深いので、少し長いが引用して記憶に留めたい。

「装幀に試みた蚊帳は、この夏腹案したもので、この寒さに向かって蚊帳でもあるまいと冷笑されやうが、ヒト様にはこんな失禮な装幀を應用するのは申譯ないから、自分の物に使用するよりはないと決行したが、古くさい材料を活す爲めに、壁面に新しい洋畫を掲げて見た。従って背から裏表紙へかけでは夜の感じを與へた黒づくめとし、夜に因んで天銀とした。

然し、どう考へても十二月の蚊帳では笑はれそうだ。そこで、實は藏に納める意味で、外凾を昔風の土藏に見立てゝ、必要のない時は、いつでも蝕ばまれぬやうに納める事にした。だが、口さがない友人は云ふだろう。『藏のくの字もない身分で、もし有れば七ツやへ曲げ込むだらう』と。

そふ云はれぬ先に、その通りその通りと斷って置く」(P303-304、但し、くの字点はそのまま漢字を繰り返した。)。

齋藤昌三が当初考えた三部作が揃ったのでこれで満足しなければならない。求めればキリがない。

齋藤昌三が書物展望社で作った本はどれも装幀が凝ったものだ。自身のエッセイの装幀は晴れ着ではなく番傘だったり、漆塗の布だったり、蚊帳や型紙だったりして、ファンを驚かせた。

そのうち、

『書痴の散歩』(昭和7年)

『閑板諸國巡禮記』(昭和8年)

『書淫行状記』(昭和10年)

が三部作と考えられていて、その後の『紙魚供養』(昭和11年間)、『銀魚部隊』(昭和13年)、『書斎随歩』(昭和18年)などはおまけだったのだろう。

齋藤昌三が企図したように新菊版で背文字を箔押しで揃えているのを書架に並べているのは、誰も見ることがないのに独りで微笑んでしまう。私も書痴だった証として持っているのかも知れない。

追記

「巡禮を終へて」には蔵書票四点を選び印譜四点を配合した旨が書かれており、どちらも見返しと見返しの遊びに印刷したものです。

なお「大倉藏」の蔵書票は以前の所有者が貼ったものであることは書いた。

「とは云え、これではどうも陰氣である。外が暗いから内は明るくといふので、見返しは光明色の和紙に、表紙との關係を多少に含めて陰陽に配し、自己の藏書票の中、爰にふさわしい四種を選ぶと共に、印譜を配合して、洋の東西を加味させた。蔵書印の「會藏」は故堀碧堂作、他の三種は岡村梅坨君の作である」。

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