2019年8月購入古書
葉月はお盆を過ぎても夏休みモードだった。なんとなくのんびりしてしまった。ドイツのように有給30日とかでも生産性が落ちない国になるためには何が欠けているのか。
(購入後記)
昭和の起源を探る旅は「大正を読む」から、「昭和を読む」に戻ってきた。サイードの『オリエンタリズム』を近代日本からみたらどうなるのか興味があった。書籍往来で『昭和とは何であったか』という読書論を読むと、どうしても買いたくなった。
「何だったのか」という問いは批判的言説である。しかし、「国家神道とは何だったのか」という問いの疑似性をいうのは子安宣邦氏だけである。
吉田健一だから、文学とする。エッセイというカテゴリを作っていたので、エッセイにすると、小説を文学に入れてきたのでやや矛盾する。小説を扱うので【文学】に入れた。齋藤昌三は本や雑誌そのものの作りを書いているので、思想ではない。エッセイでよい。
齋藤昌三の三部作が揃った。第四随筆集の『紙魚供養』(1936)とかを入れていくと四部作、五部作そして六部作になるのだろうが、『銀魚部隊』(1938)には五部作とか書いてなかったので、あっても四部作どまりだろうと予測している。
蔵書票の本は限定本が欲しかったが、手に入らないので、これでよしとする。思ったより、エッセイの部分が少ない。蔵書票を増補しているせいもある。
【思想】
子安宣邦『「アジア」はどう語られてきたかー近代日本のオリエンタリズム』藤原書店、2003年第2刷
子安宣邦『国家と祭祀ー国家神道の現在』青土社、2004年
【文学】
吉田健一『書架記』中央公論社、1973年
【エッセイ】
齋藤昌三『藏書票の話』展望社、1930年改版
齋藤昌三『閑板書國巡禮記』書物展望社、1933年
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