谷川多佳子『デカルト『方法序説』を読む』岩波現代文庫、2014年、2017年第2刷
本書は、岩波市民セミナー(1999年10月)の4回の講演を基にした「岩波セミナーブックス」(2002年)を岩波現代文庫としたもの。森有正と小林秀雄に触れることを編集部から要請されていたという。
そこら辺をチラ読みして購入した。最近、森有正の本を事務所で見たので、少し懐かしくなった。大学の頃だから1970代の後半である。辻邦生を読んでいると森先生が出てくる。それでもって買って見たのだが、難しいのだ。「体験」と「経験」を遣い分けるところから始まる。その頃読んだ本は丸山眞男のように難解な本が多かった。今になると、丸山眞男など独りよがりの文章と突き放すことが可能だが、当時は、分からないのは自分が未熟だからと考えていた。
第2章 『方法序説』の読まれ方、魅力
まずは、ヴァレリーを取り上げている。これは、ヴァレリーの「デカルト」を読むに書いたが、デカルトの自意識、自我の魅力をヴァレリーは言っているので、デカルトの原理を認めているわけではない。
お約束の小林秀雄の「常識について」という講演を取り上げる。小林秀雄の本はあるはずだけど、これを書いている間に出てこないのは明らかなので、谷川多佳子氏の本から引用する。
谷川多佳子氏は小林秀雄の指摘について、「思考を実践し、新しい創造的な思想をつくりあげ、学問を変えていったデカルト自身と、できあがった知識としてそれを受け取り議論する人たちとの間に、大きなずれがある」(P46)ということを取り上げた。谷川多佳子氏は、デカルトとデカルト主義の違いをいっている。デカルトの批判者は「デカルトをそれほど細かく読んではいない。むしろ当時のデカルト主義や、デカルトとして受け入れられた知識を批判している」(P47)。
谷川多佳子氏は森有正を大学に入る前後の二年余り熱心に読み、そのあと読んでいないという。どうもそういう経験は私と同じかもしれないと思う。何故だろうかと想像を巡らすが、本の中にはヒントはなく、谷川多佳子氏は森有正から推薦された指導教官を選ばす、ソルボンヌ大学のベラヴァル先生のもとでの5年間の留学を語っていた。
このあと、アドリアン・バイエの『デカルト殿の生涯』(1691年)などが紹介された最後に、ロディス=レヴィスの『デカルト伝』(未來社、1998年)について、「デカルトの伝記を一冊もちたいのでしたら、おすすめの本です」(P56)という。この本の帯に仮面の哲学者とあるのが気になっていた。
と、ここまで読んできて、『方法序説』を読むとはどういうことか。谷川多佳子氏は「考証的あるいは実証的なやり方もあるし、哲学の概念を出すこともできる。歴史的な背景や状況、デカルト自身の歩みや伝記、等々、いろいろありますが、いくつかの視点を組み合わせてやってみます」(P55)と書いている。
谷川多佳子氏が森有正を語るのを読むなかで、森有正のパリの家にあった『本居宣長全集』が気になったところで、時間切れである。勤め人である以上、ブログに割ける時間は限定的にならざるを得ない。もっとも、引退して年金暮らしになったとしても、ブログに費やすかというと、そうはならないと思っている。月に1回のブログの人もいるし、毎日書く人もいる。限られた読者と自分のための断片記憶なのだから、むしろペースは齢とともに落ちて行かざるを得ないだろう。
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