106「書かぬが一番」千宗室

ひととき

ひととき 2018年8月号の千宗室さんの京都(みやこ)の路地(こみち)まわり道は「書かぬが一番」というタイトルであった。路地ともまわり道とも何ら関係のない話をするのは珍しい。(新幹線の中で)『ひととき』を読んだ知人や初対面の人から名刺の肩書に「随筆家」とか「エッセイスト」と入れないのかという質問に答える形で、自分は趣味として書いている。一文で未来を切り開く気概はないので肩書など恥ずかしいと書いている。

家元とは流儀の中のことである。表は名前のみ、裏側に連絡先が書かれた名刺を使っているという。

ここで終わっていればタイトルとはならなかった。

以前に、書くことに関して、老師の下問に答えた折、お前は「書かぬが一番」と言われたという。己の慢心が覗いたのだろうと書いて、要らぬことを書いたと照れている。

私も何故こんな要らぬことをしているのか、始めたきっかけを思い出そうとしたけれども、Twitterを遡るのは限界がある。『ひととき』2018年8月号の表紙は常照皇寺の山門であった。雲ヶ畑のまたその先の山国である。

注)賀詞交換会でもらう大臣の名刺も名前だけだが、連絡先がない。

「衣笠山の裾野の池の畔に佇むD院」とはどこのことだろう。禅寺の老師が隠棲する場所である。本来、私の興味は家元のいうMだとかSだとかのぼかしを探ることにあった。

金閣寺に鏡湖池があり、Dのつく院は大書院である。

龍安寺に鏡容池があるが、Dのつく院はない。

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