櫟野寺の大観音

シガモノ

櫟野寺(らくやじ)を知ったのは白洲正子の『かくれ里』(1971)だった。私が訪れたのは、正月気分の残る2011年1月8日だった。無人駅の油日で降りて、地図を片手に歩き始める。単線の線路を渡って、赤い鳥居を潜り、雪の残る道を歩く。油日岳がだんだん迫ってくる。油日神社は思ったよりも大きくない。油日神社は楼門から回廊が東西に伸びていた。秋の祭(大宮ごもり9月13日)の万灯を想像しながら回った。

ここから、白洲正子は櫟野寺まで歩いたのだろうか。本によると道をたずねながら20分とあった。何もない道を歩くのは心細いものだ。漸く橋が見えて櫟野寺に着いたことが分かる。櫟野寺は仁王様が硝子で保護されていた。櫟野寺は天台宗の寺院である。平安時代の仏様の残る寺院だ。櫟の大木は残念ながらなかった。十一面観音菩薩座像は厨子の中で見ることはできなかった。

その櫟野寺の秘仏の十一面観音菩薩座像に上野の国立博物館で対面することができた。この平安時代の仏像は丈六で大きい。大観音といってよい。3.3mの座像の光背の高さが5mを超える。

展示されている諸仏(20体)は平安時代のもので、一木造りで中ぐりのされてないものが多い。切れ長の目が釣り上がる甲賀様式であった。

櫟野寺の本堂と宝物殿の改修工事のため、東京へ出開帳となった。平成30年10月に大開帳が予定されている。

「特別展 平成の秘仏 滋賀櫟野寺の大観音とみほとけたち」

平成28年9月13日〜12月11日 東京国立博物館(本館特別5室)

音声ガイド 藤村紀子

みうらじゅん・いとうせいこうの櫟野寺 仏像トーク

注)甲賀様式というが、丸山士郎氏は「甲賀様式は櫟野寺に限らず、近在の寺の仏像にもみられます。しかし、その範囲は、紫香楽宮なども含む甲賀郡や現在の甲賀市ほど広範囲ではありません。現在の甲賀市は平成十六年(2004)に水口町・土山町・甲賀町・信楽町が合併してできましたが、甲賀様式がみられるのは旧甲賀町を中心とした地域で、櫟野寺の仏像が主であるので櫟野寺様式といったほうが適当ともいわれます。」と図録に書いているとおり、平成の大合併で呼称が適当でなくなった感がある。

丸山士郎「滋賀・櫟野寺のみほとけと仏師」

東京国立博物館・読売新聞社編『特別展 平安の秘仏ーー滋賀櫟野寺の大観音とみほとけたち』読売新聞社、2016年

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