『伊勢と出雲』(その3)

読書時間

岡谷公二『伊勢と出雲 韓神(からかみ)と鉄』平凡社新書、2016年

岡谷公二氏の神社の起源を求めての旅はやっとサブタイトルの一つの鉄になった。

第一部 伊勢

岡谷公二氏が伊勢に出雲の思いの外に濃い影を見つけたわけだが、伊勢津彦も出雲の神と考えているようだ。伊勢津彦が天日別命に追われ伊勢から東へ去ったという「伊勢国風土記」の逸文が「神風の伊勢国」という古語となった理由を伝えている。

岡谷公二氏は、出雲族の東漸について、鉄を求めた人達の痕跡を捜すことで答えようとする。

「日本の初期の製鉄は、朝鮮半島、とりわけ新羅=伽耶の圧倒的な影響を受けているのであり、それゆえ鉄とのかかわりの深さとは、渡来人とのかかわりの深さと表裏をなす」(66頁)。

古代地名に関する幾つかの説をあげていたが、白木は新羅であろうことは容易に想像できる。

多度大社の別宮の一目連神社に御子神天目一箇(あめのまひとつ)命が祀られている。谷川健一の『青銅の神の足跡』では天目一箇を片目のたたら師として鉄の神として描かれていた。

岡谷公二氏は桑名から養老鉄道を使い多度で降りた。この終点は揖斐である。私は大垣から揖斐まで養老鉄道に乗って西国三十三所巡りで谷汲山華厳寺へ詣でたことがある。

バスも数本しかなくタクシーも見当たらなかったため、岡谷公二氏はまたしても歩いて多度大社へ向かうことになる。どうもこの本は旅行記になっている。

第二部 出雲

奥出雲のたたらは幾つかある。岡谷公二氏は奥出雲の横田町(現奥出雲町)へ木次(きすき)線で向かった。伊賀多気(いがたけ)神社が目的の一つだった。

横田駅の北1kmと案内にあるがタクシーの乗務員も出雲そば屋の若主人も行き方が分からないという。岡谷公二氏はあちこち尋ねながら歩いて伊賀多気神社に着くことができた。『日本の神々』7のコピーだけでは心許ない。

伊賀多気神社の祭神は素戔嗚尊の御子である五十猛尊である。岡谷公二氏は五十猛尊を鉄の神と考えて奥出雲の地を見に来たわけである。横田には「奥出雲たたらと刀剣館」と「絲原記念館」がある。私も冬に雪の残る奥出雲へ来て、たたら製鉄の説明を底冷えのする建屋の中で聴いたことがあった。適度にうなずくと案内者は益々調子が出てくるのだった。

今回の岡谷公二氏の著書はサブタイトルの韓神と鉄がテーマであり、神社の起源をめぐる旅が続くのだった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました