大阪までよういかん。

断片記憶

「大阪で生まれた女」という曲があって、カラオケでよく歌ったが、大阪の人が東京へはよういかんという気持ちがよくわからなかった。

しかし、京都の人と話していると、東京どころか大阪までよういかんといっている。何もわざわざ大阪へいかんと京都で済むことは京都で済ますらしい。

平安時代に、御霊会で船岡山から神輿を川に流す場面があり、「難波海に還し放つ」と『本朝世紀』にある。てっきり難波まで行くのかと思っていたが、船岡山山麓の水流に流し入れるという意味であるという(高橋昌明『京都〈千年の都〉の歴史』岩波新書、2018年)。

「「難波海に還し放」つとは、神輿を船岡山麓の水流に流し入れるという意味である。該当する流れは、大徳寺周辺の諸川が集まって南下するそれだろう。これは、大宮通を通って上立売で東に流れ、堀川に入って南下し、九条通から西流して四つ塚から鳥羽作道に沿いながら南下、やがて天神川に合流する。天神川は桂川に流れこむから、理屈の上では、船岡山のふもとから流した神輿も、やがて日本国の「祓所」と考えられていた難波の海に流れ入る」。

何で「水に流したまふ」ではいけなくて、「海に還し放」つとしたのだろうか。理屈の上でということなのだろうか。

まあ、京都の人は昔から大阪へはよういかんという認識は変わらないらしい。

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