2013年の秋に東大阪市にある司馬遼太郎記念館へ行ったとき、約6万冊の蔵書という話を聞いた。安藤忠雄氏設計の吹き抜けの書庫は司馬遼太郎氏の作品以外は全集の類のようなものしかなく不思議な感じがしたのを覚えている。
谷沢永一氏の『本はこうして選び買う』(東洋経済新報社、2004)を読み返していて理由が分かった。長いが引用する。
「司馬さんの合理主義は徹底していて、仕事が済んで要らなくなった本は、ことごとく処分するという方針である。司馬さんが亡くなった直後、私は、『文藝春秋』の要請で、司馬さんの書庫を拝見に参上した。そこで私がつくづく感じいったのは、戦国または幕末の、司馬文学に必須であり、時に司馬さんが引用している文献が、きれいさっぱり処分されて、影も形も見えないことである。司馬さんには未練も虚栄もない。済んだものは済んだ。要らんものは要らん。司馬さんの心構えを見習わなければならぬと私は思った。」(157頁-158頁)
井上ひさし氏の約22万冊の蔵書が遅筆堂文庫となっているのに比べて少な過ぎると思ったが、司馬遼太郎氏は上手に処分していたのだ。それでも6万冊か。私が本の片付けで苦労するのも無理もない話だと思うのだが、あの若者達は納得してくれないだろうなあ。
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