最所フミ編著『日英語表現辞典』ちくま学芸文庫、2004年
(編集済)
英語を読むことが、日本語を深く知ることでもあると考えている私にとって、本書は寝室のレファレンス本に入る数少ない本である。
本書は英和の部と和英の部からなる辞典である。解説を入れて635頁ある。辞典だから引くものだと思うともったいないことになる。これはミニエッセイの塊と捉えた方が良くて、従って読む辞典なのである。
「はしがき」を読んで清書したくなる。というのも、ここに最所フミの英語に対する考え方が凝縮されて書かれているので、読み飛ばしてはならないからである。全部は書けないので私にとって気になったフレーズを書いて復習した。
「英語の思考法とは何か:英語による思考法は日本語の思考法とはまったく別のプロセスを経て機能する.それを会得するには,まず日本語とどう違うかをはっきり認識してかかるのが,じつは最も近道なのである.しかしこのためには,かなり高度の日本語の知識を必要とする.」
「本辞典の選択の基本方針は,英語でいう“seminal words”を選ぶという一事に尽きるのである.つまり有機的可能性を持つ種子に限ったのである.現代という時代を経験している個人の日常体験を表現する上に役立つと思われるvocabularyを組み立てたのである.」
「これは,一つの言語表現を頭でおぼえるのでなく,心でおぼえてほしいからである.」
「一つの外国語をマスターした人々は,すべてある主体性をその言語に対して持つことを覚えた人たちである.外国語を外国語として受身に受け取るのではなく,個人的な関心事として自分のなかに取り入れるのである.」
「終わりに本辞典は,日本の英語研修者が英語の独自性を探求するプロセスにおいて,英語の体質である捉われることのないvisionと,moral sensibilityを自然のうちに感得せられることをひそかに願って編まれたものであることを申し添えておく.」
解説で加島祥造が「血肉の通った」という訳がないことを調べたことが可笑しかった。現代は「血肉の通った」と表現するコンテクストを失ったと私も思う。
加島祥造が個人的経験として最所フミと3年間暮らした時に毎月のように歌舞伎座で観劇したというエピソードや「雄鶏通信」(旬刊誌)の編集部にいたときに吉田健一とよくあったというエピソードが披露されていた。加島祥造から見て戦後60年のなかで最も抜群に英語力があったという二人のエピソードを書いているのも何かの縁を感じる。
日本人としての情念の側から英語を捉えた解説は秀逸だと思う。英語の早期教育よりも日本人としての情念を育んでやることの大切さを知った気がする。母語で考えられること以上に外国語で考えることはできないのであるから。
#語学 #英語
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